アンドレ・ケルテスは好きな写真家だ。というか、なったというべきか。白岡順先生の教室に通っていた頃に、白岡先生から好きな写真家として名前が出た後で写真集を買って積極的に見始めた。それまでも、いくつかの作品を知っていたが、多くの作品を見ることで、写真としての構図の新しさも感じた。ヘンリー・カルティエ=ブレッソンの言葉にあるように、「私たちは皆、ケルテスに何かを借りている」は納得できる。
ハンガリーのブダペストで生まれた彼は、パリやニューヨークで活躍し、初期の写真芸術表現の限界を広げたと言えるだろう。彼の作品は、その独特の感性と、リアリズムとシュールレアリズムを融合させた。
最も初期とされるガラスプレートカメラで撮影された「泳ぐ人」は。確かエルトン・ジョンだったか、ポール・マッカートニーの所蔵作品の展示をロンドンで見た際に初めてオリジナル・プリントを見た。その時点での写真の概念を大きく変えたことは、想像に難くない。
第一次世界大戦中に軍人としてガラスプレートカメラを使って撮影した後で、1925年にパリへ移住した彼は、都市の日常生活や文化を捉えた作品を発表している。高層ビルの屋上や時計塔からの異なる視点を求め、ユニークな構図の作品を残している。
特にケルテスが好きな理由は、光と影を使って、日常的な風景や物体を斬新なイメージに変えたことだ。「フォーク」(1928年)は、単純な食器の強い影を利用して、視覚的なリズムとバランスを作り出している。また、「サティリック・ダンサー」(1926年)では、局面への反射を利用して、人体を不思議な形として捉え、ダンス、彫刻、写真の融合を試みた。
また、ケルテスは、リアリズムの要素にシュールリアルリズムの要素を組み合わせることで、現実と夢の境界をあいまいにした。彼の作品で、最も好きな「メランコリック・チューリップ」(1939年)は、一見単純な花のクローズアップだ。しかし、その垂れた花茎は孤独を表現しているように見える。その「メランコリック・チューリップ」を含めて、彼の作品について書いてみる。
1. メランコリック・チューリップ (1939)
枯れかけたチューリップのクローズアップで、生命の儚さを表現している。暗い背景に対して、チューリップの輪郭がくっきりと浮かび上がり、寂しさや静寂だけでなく、滅びの美しさを感じさる。シンプルさが、深い感情を生んでいるようだ。
2. サティリック・ダンサー (1926)
ダンサーの曲線的でダイナミックなポーズを捉えている。背景には彫刻作品があり、ダンサーのポーズと相互作用しながら、ダンス、彫刻、写真の境界を曖昧にしている。この作品は、写真の特性として、動きと静止を同時に捉え、視覚的な新しさを見せている。
https://www.getty.edu/art/collection/object/104EJS
3. モンドリアンのパイプとメガネ (1926)
「モンドリアンのパイプとメガネ」では、ケルテスは被写体の不在を写している。メガネ、パイプ、灰皿だけで、画家ピート・モンドリアンの存在を暗示している。直線的で幾何学的な構成は、モンドリアンの抽象的なデザイン性を反映しいる。この構成は、街中の風景を対象と影で表現した作品にも通じる。
4. フォーク (1928)
「フォーク」は、日常的な物体を作品に昇華する能力を示している。フォークとその影によって作り出される形状とパターンは、写真が持つリズムとバランスの感覚を強調している。その構図は単純さの中に深い美しさを秘めている。これを何度真似したことだろうか。
5. ワシントンスクエア (1952)
ニューヨークのワシントンスクエアパークを撮影したシリーズは、晩年に撮影された。都市風景の変化と日常生活の静けさを捉えているようだ。雪に覆われた公園の風景や人々のシルエットは、都市の雰囲気を生き生きと伝えている。他の作品と同じように、動きのあるデザイン的な美しさもある。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/262953
ケルテスの写真は、瞬間を永遠のものに変えている。それこそ写真の機能だ。それでも、それまでの写真の単なる記録以上の世界の見方を示し、感情と融合されているようだ。構図、光と影の使い方は、他の写真家にない、独特な美しさを生み出した。そして、その被写体の選択は、日常の瞬間を捉えることの重要性を教えてくれている。これをケルテスから学んだ。そして、ケルテスの作品を見る度に、亡くなられた白岡先生のことを懐かしく思い出す。
写真は、パリからの飛行機の中で、ケルテスを思い出した時のもの。