李禹煥展

by Shogo

昨日はたまたま何の予定もなく、どうしようか考えた。月曜日で美術館も休みだし、写真でも撮りにどこかへ出かけをかけようと考えていた。だが、火曜日が定休日の新国立美術館を思いついて、To Doリストに入っているが、優先順位が低かった李禹煥展に行くことにした。六本木周辺の写真も撮ることにしてカメラも持って、昼食後に出かけた。消去法的に出かけたが、結果的には行って良かった。良い展示を見ることができ、得るところもあった。

月曜日の新国立美術館は空いていた。ルートヴィッヒ美術展が開催されており、そちらのほうのには、比較的人が集まってそうであった。

李禹煥を初めて見たのは、もう10年ほど前のオペラシティーのギャラリーだった。藍色の筆のタッチとミニマリスト絵画の構成が心地良かった。その時に、よく近寄ってキャンパスを見ると、一見無造作に描いたように見えて、実は顔料や細かい石のようなもので丁寧に厚塗りされていることに気がついて、爽やかな藍とリズミカルな筆のミニマリズムの作品と見えて、実はそこには、丁寧な作業に担保された物質性、抽象性が見えた。

それ以来、李禹煥は好きなアーティストの1人である。だが、今回の展示は、彼が、「モノ派」と呼ばれる所以である立体物の展示も多いと言うことで、二の足を踏んでいた。正直言って、「モノ派」の立体物展示は見てもよくわからない。アート全体に言えることであるが、その文脈や意味を知らないと何の手がかりもなく、途方にくれてしまう。これが、絵画であれば色や形だけでも楽しめるが、物体ではそれもない。

単に床に並べた物体を見て、何も感じない。それが嫌でどうしようかと考えていた。実際に行ってみると、結果同じで実はあまりよく理解できない。オーディオガイドで解説や李禹煥本人の説明もしながら、見たがそれでもぴんとこない。

唯一何となくわかる気がしたのが、ガラスの上に大きな石を乗せて、乗せた衝撃でガラスが割れている作品。これも様々な解釈があるのだろうが、その一回性とガラスの石の組み合わせの意味がなんとなく共感できる。

屋外に展示されていて、撮影が許されていたアーチの作品を写真を撮ってみた。これも、ネットで見たベルサイユでの展示のように、もっと巨大であれば何か感じるところがあるのだろうがあまりにも小さく拍子抜けした。李禹煥の説明も、あまりにも抽象的で意味が理解できなかった。

それに対して、絵画の作品についてはかなり楽しめた。会場に入ってすぐの、オレンジと赤とピンクの蛍光色がキャンパスに一色に塗られた作品を初めて見た。かなり初期の作品らしいが、その時代のバーネット・ニューマンやイヴ・クライン と同様の作品を作っていたことを初めて知った。その意味で独創的と言うのではない。しかし、蛍光の同系色を使った作品の組み合わせは、彼の作品として成立しているようだ。三方を作品に囲まれて、その中に立つと、照明に反応して光が変わるのがわかる。キャンパス上の作品を見ると言うより、蛍光色に反射した光を見る作品なのかもしれない。

今回の展示には、以前見た作品以降の新しい作品もたくさん展示されており、点や線の作品から発展した、いくつかのシリーズはとても良かった。

初期の藍色の点や線の作品はもちろん好きなのだが、最近の作品のオレンジ色を使った、よりミニマリズムが進化したような作品や、それに対応がするかのように墨と白を使った作品はより抽象性を増したような感じがした。

展示の最後の方の作品は、キャンパスではなく小部屋の壁に直接、墨の作品が描かれたもので、そのホワイトキューブの中にはそれ以外に色は無い。たまたま誰も入ってこない時間を過ごすことができたので、その空間を十分に味わうことができた。

今回の展示では、オーディオガイドが、自分のスマホを使ってネットから聞くので無料。これはよかった。同様な方法を全ての展示で行って欲しい。

李禹煥を見た後は、六本木と新宿のギャラリーを見たり、写真を撮りながら帰ってきた。特にギャラリーでは気になる作品もなかったのだが、ギャラリー行く途中で何枚か写真が撮れたので良しとしよう。

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