デビッド・ホックニー展

by Shogo

デビッド・ホックニー展に行ってきた。どうしても行きたいTo Do リストに入っていたわけではないが、知人と銀座で食事した後で、銀座から近いから行った。もともと青山で会おうとしていたが銀座に変更になった。変更になっていなかったら多分行っていない。それほど、どうしても行きたいと思っていなかったが、結論としては行っておいてよかった。

デビッド・ホックニーは20世紀から21世紀にかけての代表的なアーティストといっても良い存在になった。これは、長生きして多くの新しい作品を発表できたからだろう。

しかし個人的な印象としては、プールの作品、写真を使ったコラージュの作品、2人の人物のポートレートによる関係を描いた作品しか思い浮かばない。

プールに代表の作品に象徴されるように、カルフォルニアの空気感とポップな色使いで、ビジュアルの美しさが中心のアーティストと考えてきた。つまりカルフォルニア的な浅さと。そんな彼がイギリス人だと知ったのは随分後だった。それでも、たくさんのプールの作品を見ると、人物の登場しない作品の、明るい光の下の静かさや寂しさが伝わってくる気がして、新しい体験だった。

今回の展示で、初期から最新の作品まで見ていくと、常に新しい技法を取り入れて、それまでいなかった作品を生み出してきたことがよくわかる。特に今回2人の人物が登場するポートレートの作品をたくさん見て、彼の性的バックグラウンドも含めて、ポートレートの作品が人間の関係を描こうとしたことがよくわかった。浅くはない、人間を描こうとしたことがよく分かる。特に、両親を描いた作品は良かった。

プールの作品についても、リトグラフで作られた線画に様々な色付けをすることにより、多くの可能性を追求していたことがよくわかった。気分で描いたのではなく、計算と多くの試行に生み出されたようだ。

写真のコラージュも遊びのように見ていたが、作品をよく見てみると、セザンヌやピカソと同じだ。多視点を写真を使って表現していたのだ。新しい時代のキュビズムとも言える。今までは、単に思いつきて写真を張り合わせているとしか思っていなかった。

常に新しい技法に取り組むと言うことでは、写真やポラロイドを取り入れた作品作りから、iPadを使ったデジタルの世界まで取り組む姿勢は、成功した高齢のアーティストたちは思えない。なんとも軽やかだ。2010年からiPadを使って作品創りを始めたようだから、iPad発売直後からだ。

デジタルで液晶に表示される作品は、透視画像であるため色彩が際立って、彼の持っているポップな感覚がより生かされる。特に面白いと思ったのが、作品が完成していく一筆一筆がデジタルで液晶の上で再現される展示だ。絵画は、完成した作品しか見ないのが普通だが、その過程を見ると言う事は印象的な体験だった。これこそデジタルで作品を作る意味がある。まさに、伝統的な絵画の技法とデジタルアートの融合を実現している。

影響という面では、ノルマンディやヨークシャーの風景、樹木などを対象とした近年の作品は、先日見たマチスの影響も感じられる。iPadを使って作品を創る分だけ、マチスよりその色彩が鮮やかだ。カルフォルニアの明るい風景から、彼のルーツであるヨーロッパへの回帰という

ことなのかもしれない。

帰りに白河清澄を散歩して帰ってきた。

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