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11月22日はケネディ米国大統領暗殺から50年の日だった。50年前のケネディの暗殺は実は良くは覚えていない。その翌年のオリンピックの方がたくさんのことを良く覚えている。その1年というのは記憶に関する成長が著しかったのか、それとも身近なことは覚えていても、遠いよその国のことは関係なかったのかもしれない。
ケネディの暗殺を意識したのは、実家に保存されていた暗殺の際の新聞記事を数年たってみてからだ。その新聞記事ももうないと思うが、一面トップの大きな記事で子供心にも大変な事態が起こったのだと理解できた。
2005年の夏に2度目に行ったダラスで初めて、教科書ビルの6階からJFKが撃たれた場所を示す赤いX印を見た。思ったよりずっと近い場所で、ある程度の人なら十分に狙える距離だと思った。しかし、事件を調べたウォーレン委員会でも魔法の弾丸という表現で、上からオズワルドが撃ったとは考えられない弾丸の証拠もあるようだ。
昨年読んだスティーブン・キングの22/11/63の小説では、勿論フィクションとしてオズワルドの単独犯という前提のもとに小説が書かれている。彼によれば「オッカムの剃刀」という表現を使って、もっとも簡単な説明が真実に近いと考えているようだ。
11月に発売された「ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言」では、まだ文藝春秋の要約しか読んでいないが、オズワルド単独犯に疑問があるようだ。早速、単行本を読んでみようと思っている。このケネディの暗殺をめぐる謎は多分これからも解かれることなくいろいろな人が思いを巡らせるのだろう。