最初にフェルメールを見たのは、中学生頃のことだった。その絵は「牛乳を注ぐ女」(ミルクメイド)だと、後から知った。その時点では、黄色と青に目が行き、モデルのメイドの豊かな体つきのために、素朴な画として認識して、特に注意もしなかった。今見ると光の表現や豊かな階調がフェルメールらしい繊細さをだしているが、中学生のガキは階調という言葉も知らなかった。
フェルメールを見て好きになったのは、1989年にワシントンDC近郊の大学へ行き、翌年にニューヨーク勤務になった頃だ。
ワシントンDCのナショナルギャラリーとニューヨークのメトロポリタン美術館で、「手紙を書く婦人」、「天秤を持つ婦人」や「水差しを持つ女」などを見てから、フェルメールが気になり、関係する本や雑誌を読み始めた。当時は、まだインターネットは無かったから、情報源は活字媒体だった。幸い、メトロポリタン美術館には何度も行けたし、そのころには、フリック・コレクションに「兵士と笑う娘」、「稽古の中断」や「婦人と召使い」も所蔵されていることを発見していた。
その後、帰国してからは、忙しかったこともあるし、フェルメールの作品の来日も少なかったために、フェルメールの画集を時々見る程度。2000年に大阪に「真珠の耳飾りの少女」が来たことがあったが、その時も忙しくて大阪にはいかなかった。しかし、21世紀に入ってフェルメールの人気が高まり、作品の来日も増え、画集ではなく、実際に作品を見ることができるようになった。また、インタ―ネットの普及で、世界中のサイトから関連する情報を読むこともできるようになっていた。
そのおかげで、フェルメールの光の表現についての理解が深まっていったようだ。そして、2008年にはオランダとドイツのフェルメールの作品を見て回った。そして、ますます、作品の中の光に魅了されていった。
2008年の旅行を振り返り画集を見ながら作品について書いてみる。
「真珠の耳飾りの少女」
この作品もやはり光だ。少女の顔と耳飾りにあたる光が目を惹く。最も目を惹く少女の目や唇から右下に、ハイライト効いた真珠の耳飾りの輝きは、光の微妙な変化を感じさせる。もちろん色彩としては、独特の黄色と青が黒バックに映えていて、独特の雰囲気を創り出している。少女の表情と合わせて、内面の感情を表現する手段としても使われているのだろう。
「牛乳を注ぐ女」(ミルクメイド)
明るい窓から射し込む光が、女性の姿や壁の質感を際立たせている。光と影の対比は、日常のシーンをドラマチックに視覚的な深みのある世界に変えている。部屋の中のさまざまな物体に反映する光の質感が、リアリズムを生み出す。有名なように、ポワンティエと呼ばれる光の粒がパンまで輝いている。
「窓辺で手紙を読む女」
この作品は、フェルメールの光の使い方を象徴する作品だ。個人的にも、ベスト3には確実に入る。窓から差し込む柔らかな日光が、部屋の中の女性と手紙を照らしている。この光の落ち方は、女性の心情や手紙の内容に想像をかき立てる効果を持っているようだ。この光と影のコントラストが、室内の静けさと女性の内面を強調している。
「地理学者」
この作品も好きだ。窓からの光が地理学者の顔と作業台を照らし出している。この光は、彼の集中力と探究、その情熱を伝えているように見える。机の上の地図や測定器具に当たる光は、彼の職業への誇りを象徴しているかのようだ。
フェルメールの絵画における光の表現は柔らかな光と影の対比を利用して、形と空間を創造し、画面に深みを与えている。強い光と黒い背景で空間をドラマチックに演出するカラバッジョとは大きく違う。しかし、カラバッジョの劇的な瞬間ではなく、静かな日常生活と物語や登場人物の感情を伝えているようだ。
フェルメールの光の扱い方は、彼の時代の技術的な先端であるカメラ・オブスクラの使用に影響を受けているといわれている。デルフトのフェルメール記念館にはカメラ・オブスクラが設置されていた。ただし、実際には、カメラ・オブスクラを使っていた証拠は何もない。彼の遺品が、相続のための文書に列挙されているが、その文書の中には、彼の絵に登場する衣服はあっても、カメラ・オブスクラは含まれていないそうだ。高価と思われるカメラ・オブスクラが、その文書から漏れるはずがなく、フェルメールが実際にカメラ・オブスクラを使っていたかどうかは、まだ不明だ。
しかし、彼の作品には、レンズを通してみたようなボケの表現があることから、カメラ・オブスクラの使用に肯定的な意見も多い。カメラ・オブスクラが現実の光と影の関係を捉えるのに役立ち、繊細な光の効果を生み出すのに一役買っていたのだろうか。
フェルメールの作品における光の表現は、彼が実際に絵を描いた北向きの部屋の、現実の世界を超えた、感情的で詩的な空間を創り出している。