2024年が始まってまだ2日しか経っていないが、とんでもないことが毎日起こっている。元旦から2日にかけては能登半島を中心として地震が続いており、被災した方々は正月早々罹災生活を続けている。しかも、地震がまだ続いており、心が痛む。とは言え、東京の街は普通だ。買い物に行った新宿も普段通り。違和感があるとすれば、正月という感じがまるでしないことだけだ。生活習慣が変わって正月が特別ということではなく、ただの休日の一つになったということだろう。自然尾サイクルを前提とした農耕社会の名残が薄れてつつあると感じた。
そして2日には羽田空港で事故だ。 外出から戻ってテレビで映像を見たときには、とんでもないことが起こったと思った。しかし、乗客乗員全員が無事に脱出できたことを知ってほっとした。しかも、今日これから羽田に行って飛行機に乗る予定だ。たぶん混乱が続いており、数多くの遅延が発生するのだろう。覚悟しといたほうがよさそうだ。能登半島の地震の被害にあった人に比べれば、そのようなことは無いに等しい。
能登半島で起こった地震は震度7と言う大きな地震だった。マグニチュードは7.6。映像を見ていいるだけで、その激しい揺れに恐怖を感じる。2011年の大日本大震災では東京で震度5であったが、大きな揺れに壁に手をついたものだった。 あの恐怖は忘れられない。
このようなタイミングだからだろうが、過去の地震の記録をまとめているサイトを見た。1990年から2024年の間に、100万ドル以上の被害、10人以上の死者、マグニチュード7.5または津波があった地震の回数をまとめたものだ。1位は中国で186回、2位はインドネシアで166回、3位はイランで109回。日本は98回で4位。日本は、もっと上位だと思ったが、3カ国も日本より多い国がある。
そして、アメリカが78回で5位に入っている。6位がトルコの62回、7位がインドの58回、8位がフィリピンの55回となっている。
不思議なのは、アメリカが5位なことだ。ググってみると、確かにアメリカの東海岸は地震がないが、他の地域では地震が頻繁に起こっている。アメリカは、北アメリカプレート、太平洋プレート、ココスプレートの3つのプレートが交わる場所に位置しているため、地震活動が活発な地域だそうだ。特に、カリフォルニア州は、サンアンドレアス断層やカスケード山脈断層などの活断層が存在するため、地震のリスクが高い地域だ。また、ハワイ州も、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界に位置しているため、地震のリスクが高い地域だという。アメリカで過去に発生した大きな地震としては、1906年のサンフランシスコ地震、1989年のロマ・プリータ地震、1994年のノースリッジ地震がリストアップされていた。
1994年のノースリッジ地震はアメリカにいた時期だからテレビで見たことは覚えている。だが、個人的にはアメリカの地震と言えば思い出すのは、1989年のワールドシリーズ途中でのサンフランシスコでの地震だ。この地震はマグニチュード6.9と記録されている。1906年のサンフランシスコ地震のマグニチュードは7.8と推定されているので、それは少し弱かったが、サンフランシスコでは、1900年代の100年で大きな地震が二度起こったことになる。
記憶に強く残っているのは、地震はサンフランシスコ・ジャイアンツとオークランド・アスレチックスのワールドシリーズの第3戦が開始される直前に発生したからだ。キャンドルスティック・パークでの、この試合は地震の影響で中断され、ワールドシリーズ自体が10日間延期された。再開後にオークランド・アスレチックスがシリーズを4試合で制した。この地震の時もアメリカの大学に留学中でワシントンDC近郊にいて、毎日テレビで状況を見ていたことと、それからしばらくしてMLBに仕事で関わるようになって、その場にいた人から多くの話を聞いて、他国の地震だが記憶に残っているのだろう。今回の能登半島の地震はマグニチュード7.6ということで、この時のマグニチュード6.9のサンフランシスコ地震よりはるかに強い。
強さで言えば、東日本大震災は、マグニチュード9 だった。また、関東大地震はマグニチュード7.9と推定されており、阪神淡路大震災は7.3だ。これを見れば、今回の能登半島の地震の強さがよくわかる。
やはり、ググってみると、記録にある最もマグニチュードの大きい地震は、1960年5月22日にチリで発生したマグニチュード9.5の地震だ。この地震は、チリ中部を震源域として発生した。地震の揺れは、南米全土と、太平洋を挟んだ日本、ハワイ、オーストラリアなどにも感じられたという。この地震は、観測史上最大規模の地震として記録されている。
このような地震はいつ起きてもおかしくは無い。飛行機を含めて様々な事故も同様だ。生きていくと言う事は常に何かの出来事に遭遇する。できれば大きな地震があるとすれば、私がいなくなってからにしてもらいたいものだ。