川の街

by Shogo

夕方時間があるときには、太田川の堤防を自転車で走るようにしている。だが、このところ雨が降ったり、あまりにもまた暑かったりして走る機会が減ってきた。

堤防は整備されていて、ジョギングや散歩をする人がたくさん行き交う。広い道と交差する地点では、たいていの場所は立体交差になって橋の下を潜って、問題なく通り抜けられるようになっている。残念なことに何カ所かは、交差点になっており近くの信号まで迂回して反対側に渡ることになる。これが気分的に良くない。ずっと堤防を走り続けたいが、そうなっていないのだ。

広島は川の街だ。市の中心部に行くと、太田川は何本にも枝分かれして、東西に移動しようとすると、何回も橋を渡る。自転車で走っている安佐南区でも、最初は太田川の堤防を走るが、途中から太田川に合流する古川の堤防になる。そして、その後で古川に合流する安川の堤防を走る。

大学の同僚から、広島は、広島城のあたりは湿地帯で、要塞として、敢えてそのような場所に築城したことや、城ができる頃までは、今の市の中心は迂回しなければ通り抜けできない場所だったと聞いた。支流も多く、街として発展する苦労はあったのだろうが、交通の要所として重要な場所だっとのだろうと想像する。

自転車で走るルートは、太田川の堤防をずっと上流まで北上することも可能だ。だが、最初に走ったのがそのルートで、何も考えず堤防を走るとそうなるので、大抵同じ場所を走っている。時間がある日に太田川の堤防を北上して、可部線の終点の一つ手前の可部駅の方まで行ってみようと考えているが、まだ実現していない。

川の水を見ながら走っているのは非常に気持ち良いものだ。生き物は自ら生まれたために水がそばにあるのは心地よく感じるのだろうか。今までも、部屋から川が見える場所に暮らしたことが何度かある。その時は気分がよかったことを覚えている。そういえば、実家もすぐそばが川だ。水のあるところに、最初は街が発展していったから当たり前か。

そんなことを考えていたら、ダイヤモンドオンラインで作家の橘玲さんと人類学者の篠田謙一さんの対談を読んだ。この中で水生類人猿説(アクア説)を初めて知った。人類は木の上の生活から700万年位前に、サバンナの平地で暮らすようになったと言うのが一般的な説だ。しかし、水生類人猿説では、人類は長い時間を水の中で暮らしていたと言う。水の中で暮らすために四つ足で歩くのをやめて二足歩行になった。四つ足だと水の中に沈んでしまうからだ。体毛がなくなったのに頭髪だけが残ったことも、皮下脂肪が厚くなったことも説明がつく。面白いのは鼻の形で、単に匂いを嗅ぐだけだと鼻腔は正面を向くが、人間は人間は下向きになっている。これは鼻腔が前を向いていると水に入ったときに、鼻に水が入ってしまうからだと言うことだ。ただし、対談では篠田さんにこの説は否定されている。

水生類人猿説は初めて知った。人類誕生の700年前の頃など何もわかっていない。これが事実だとすると面白い。自転車で川のそばを走りたくなるのは、遺伝子に組み込まれているかもしれない。

写真は可部線の踏切、大町付近。

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