完璧

by Shogo

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにようにね」

村上春樹「風の歌を聴け」冒頭

この書き出しから始まる「風の歌を聴け」を読んだのは大学を卒業して、しばらくした頃だった。これまでの日本文学とはまるで違う、全く新しい時代の小説と感じた。まるでサリンジャーやアーウィン・ショーの現代アメリカ小説を読んでいるように感じた。

この小説の冒頭から、村上春樹に特徴的な比喩が使われている。この比喩の完璧な文章や、完璧な絶望も無いように、完璧に何かは存在しない。

村上春樹は、評価については何も言及していないが、何かを評価することでも、完璧は無い。評価には様々な観点からの視点が必要だし、価値観の違いでも永遠に決着しないだろう。特に人物の評価は難しい。世の中に完璧な人間はいないからだ。

それが政治家の場合には、評価するためには、あらゆる視点からの精査が必要だし、特に長期的に考えるべきだ。また、その業績に対しては、歴史的に評価すべきだ。

何事につけて、意見の対立には、どちらにも正当性はある。レベルが低いが、宴会の日程を決めるのも同様だ。全員が納得できる日程がなければ、どれかで決めるしかない。当然それには都合が悪い人が出るであろう。しかしながら、人間とは、そのようにして宴会の日を決めて生きていくものである。

ただ忘れてはいけないのは、その際にその宴会に出られなかった人の事だ。それをどう救済するかが人間としての評価のポイントになる。たとえ、意図が善でも、万病に効く薬は存在しない。救えなかった人へ対策を同時に用意する心構えが、人であっても、政治家であっても、求められる資質だ。

ただし、すぐに評価が確定する点もある。公に嘘をつくことは、その人の評価を下げるべき最初の指標だ。また、不正や法律違反、犯罪、さらに、法に触れなくても倫理に反する行為は、厳しく指弾されるべきである。これについては、完璧な悪が存在する。

そのような事例を除けば、完璧な悪も善もない。いずれの二項対立も、単純に線を引いて決められるものではない。考えるべきは、信じていることを疑い、一方の意見の意味を真摯に考慮すべきだということだ。

いずれにせよ、様々なことについて意見が出ることが望ましい。日本人のいけないところは、喉元過ぎればなんとやらで、それをすぐ忘れてしまうことだ。大事な事は何が正しいのか、何がより正しいのかということについて考え続けることだ。

単純な正義論ではなく、正しいと思うことと、間違っていると思うことの中身をよく考えて、最適な道を探ることだ。二項対立でレッテルを貼ることからは、何も生まれない。それぞれに、完璧な何かは存在しないのだから。だから、よく考えて話し合うことの中にしか、完璧でないにしても、より良いことは生まれない。

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