旅行とは
日常から離れて非日常を経験するために、てっとり早く別の土地へ行ってみると言うこと。この非日常にはいくつかの意味があって、ひとつはその土地の食べ物を食べる、あるいは知らない人に会う、また知らない街を歩いてみる、そして見た事のない景色や風物を見学する、などなど、たくさんの非日常がある。
パターン化
ただし短い時間で行き当たりばったりにたくさんの非日常を経験するのは難しいので、過去の経験者に頼って、その情報をもとに旅程を組み立てる。このため旅行そのものは非常に効率的になるが、結果的に非日常を経験するための旅行ではなく、日常の延長の経験を違う土地でするだけとなる。これで良いかとも考えるが貧乏性なのでカフェで一日ぼっとすることもできずに、ガイドブック片手に歩き回る。まるでノルマを果たしているような気がしてくる。
知らない人と出会う
若い時の旅行ではたくさんの知らない人と出会い、話したり、食事したりして、その後何年も文通を続けたということもあった。我が家が何度も引っ越したり、アメリカに行ったりして交流は途絶えてしまったが、クリスマスカードのやり取りは何年も続いた。
最近の旅行
今は家族の旅行だから、一人旅と違って家族で完結している。さらに安全の理由から見ず知らずの人との接触を意識的に避けている。だからホテルやレストランの人くらいしか話さない。地下鉄や街角で話しかけてくる人は怪しいと決めつけて話さない。今回の例外は初日のシンガポールの女性。でも話したというほどのこともない。
ベルサイユ
仕事も含めて、パリには10回以上来ているがベルサイユには行ったことがなかった。今回は娘の希望で出かけたのだが、この混雑はすごい。切符を買うのに2時間待ち。事前にミュージアム・パスというのを入手しているので切符を買う列には加わらなくて良いのだが、入場のセキュリティ・チェックの列で1時間待ちだった。そして中でも満員の地下鉄のような混雑で、豪華かつ悪趣味な宮殿の内装を見て歩く。当時のフランス国王の贅沢ぶりがよく分る。荒野に川を引き、森を造り、宮殿を建てた。毎日、3万人が何年も働いたという。フランス革命が起こったのも無理がない。
脱線したが、ベルサイユに集まる世界各国の人もパターン化も結果だ。パリに行ったらベルサイユを見る。結果が満員電車だ。でもパリに行ったら有名な場所を見ておきたいのは人情。私もそれは同じだ。今回もパリのごく有名な一部しか触れない旅が終わる。たった1週間は、パリや東京のような大都市には短すぎるのだ。だからこそ、パターン化のメリットもある。