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そろそろ花の季節の終わり
蓮の花もそろそろ終わり。
毎日、目を楽しませてくれた蓮の花もあと少しのようだ。花や蕾の数が減り
散った花びらばかりが目立つ。まだきれいに咲いている花を見ていると
さびしい気持ちになる。季節の終わりの寂しさ、過ぎていく時間への惜別、
失われていく自己実現の機会喪失の怒り。有限の時間の中で生きてゆく
私たちへの警鐘か。散ってゆく花が教えてくれることは、毎日の自己実現への
努力の欠如だ。
「何回も見るよ。」
幾季節か前、桜の季節の終わりの、あと何回、桜を見るかと呟く私のそばで
まだ幼かった娘が聞きつけて、「何回も見るよ。」と言った。永遠の時間を
感じている娘と、終わりを見ている私。村上春樹の小説に、35歳で人生の
ターンをしていると感じている男がでてきたが、私はとっくの昔にターンを
したのだ。
私が娘に言わなければならないこと
人生で使う時間の物差しは、どんどん長いものになって行くのに、測るべき
人生の時間はどんどん短くなって行く。散っていく花びらのように、過ぎていく
時間の中で、自己実現のための時間は永遠ではないということ。