卒業ランチ会

by Shogo

卒業生と記念のランチ会を行った。ランチ会にしたのは、広島の新型コロナウィルス感染者数が12月より連日4000人を超え、今年に入ってから、さらに急増し、8000人を超えるまでなっている。陽性を理由に授業の欠席者も多い。このような状況で多くの人が集まる夜の店は難しいかと感じたからだ。

小さな静かな落ち着いたレストランを取ったので、ゆっくりと2時間半もみんなで話すことができた。この卒業生たちは1年生こそ通常の大学生活だったが、残りの3年間はパンデミックの影響受けることとなった。特に2年と3年はオンラインが中心となり、リモートの学生生活だった。

物事には良い面と悪い面がある。リモートになることで、時間を有効に使ったケースでは、自ら何かを学ぶこともできたであろう。

しかし、大学とは学問の場所であるとともに、人と付き合うスキルを学ぶ場所でもある。オンライン授業のために、重要な要素が抜け落ちてしまった。普通なら学校の仲間とともに遊びに出かけたりというような機会はパンデミックのために奪われてしまった。

彼らが3年生の時の冬に感染者数が減少し、非常事態宣言が解かれていた時期があった。その時に1度だけ夜の飲み会行った。その時に初めてマスクを外した顔を見た。今回、1名を除いて、全員出席だったので、ようやく全員の顔を見て記憶に留めることができる。

マスク生活をしているとほとんどの場合はマスクの下の顔を想像している。通常は記憶にある良く似た顔を頭の中で代用しているのだ。マスクを外すことで、その想像が上書きされて、現実のもとになる。

自分の若いときのことを考えても同じだが、その頃は過去を振り返るような事は無い。目の前に無限に続くと思われるような時間が広がっており、様々な可能性を見ているからだ。過去を振り返るのは老人の習性だろう。若い学生は過去には関心がない。未来以外は持っていないからだ。

年をとるにつれ、昔を振り返るようになった。それで、過去に知っていた人と会いたくなることが多くなった。昔なら、そんな考えは持たなかったし暇もなかった。

老人の目から過去の自分を考えるとあれほど能天気に馬鹿なことをたくさんしていたのは、若気の至りと言うことなのか、ホルモンがなせる技なのか。考えてみれば、あまりにもハメを外しすぎると言うようなことがあった。いまの若者はもっと堅実な感じがする。将来、何をするか語れる学生が多い。

彼らの顔を見ながら、昔読んだボール・ニザンの「アデン、アラビア」の有名な冒頭、「20歳、それが人生で最も美しい時だと誰にも言わせない。一切が若者を駄目にしてしまうものだ」を急に思い出していた。何十年も考えたこともなかったのに突然浮かんだ。

この本が書かれた、20世紀初頭生きたニザンの時代から100年。自分が学生だった時でも、ニザンの時代から50年近くも経っていた。その時に読んだ本はもはや手元にないが、冒頭だけは記憶にある。それが、ランチ会で久しぶりに記憶の水面に浮上した。自分が学生時代にニザンのような世界のあり方を告発したくなるような衝動は持っていなかったことだけは確実だ。多分何も考えていなかった。政治学科だから、政治体制のことは学んでなんとなくというような理解にしか到達しなかった。当時の先生から「市民」ということを教えられ、「市民」として生きることを重要だと考えたが、自分で行動を起こしたりということはしなかった。政治の季節は終わって、むしろその反動で「反」政治の時代だったからだろうか。

卒業していく学生たちも話している内容は、非常に堅実で大人びたように聞こえる。ニザンの時代から世界全体が大きな戦争や経済危機などを経て、安定期に入り成熟したのであろうか。あるいは自分も含めてニザンが考えたように、人間としてのあり方について考えることをやめてしまったのかもしれない。少なくとも、私は、本を読んでもニザンのような正義感は持ち合わせていなかった。だから冒頭の「最も美しい季節とは言わせない」の文章は、若い時の様々な思い出を象徴する広告のコピーのようになっている。ニザンの思いを薄っぺらい感傷に変えてしまっているのだろう。

ランチの最後に全員で笑って写真を撮った。その写真が何年か経ってパンデミックの中での大学生活の1つの思い出となってくれれば良いと思う。

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