週末は映像配信ビジネスの授業準備のためにYouTubeで資料映像を探していた。YouTubeのおかげで、映像を探すのが本当に便利になった。YouTube以前に授業を準備するのにどのようにしたのか想像したくない。
そんなことでYouTubeを見て過ごしていると、「The Dark Side of the Rainbow 」の映像を見つけた。これは、ずいぶん前からピンク・フロイドの1973年のアルバム「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」(日本語タイトル「狂気」)と、1939年の名作映画『オズの魔法使い』との間のシンクロニシティで話題になっている組み合わせだ。ピンク・フロイドの音楽とオズの魔法使いの映画がサウンドトラックのように、ぴったりとシンクロすることは聞いていたが、それをミックスした映像は初めて見た。
そのYouTubeの投稿は、「The Wizard of Pink Floyd」と言うタイトルで、「オズの魔法使い」の音声は聞こえないほどの程度まで絞られ、ピンク・フロイドの音楽が組み合わされている。最初に「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」が音楽としてつけられている。アルバムは43分で、映画の101分の半分もカバーしないので、続きには「Wish You Were Here」が付けられている。もっとも、このビデオでは映画も途中で終わり、静止画になり無音が30分も続く。それでも、この「The Dark Side of the Rainbow 」現象の話題性のためか124万回も再生されていた。
「The Dark Side of the Rainbow 」現象とは、ピンク・フロイドの「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」と「オズの魔法使い」との間の、不思議なシンクロをきっかけに起こった文化現象だ。同時に再生すると、アルバムと映画は、まるでサウンドトラックとして作られたように、画面と音楽・歌詞がピッタリと合っているということが話題になった。アルバムは、映画の半分もカバーしないが、何か意図があると多くの人が感じたのだ。その秘密を多くの人が推測し、答えのないまま話題が続いている。「The Dark Side of the Rainbow 」現象の不思議さは、単にシンクロニシティそのものにあるのではなく、その謎だ。ピンク・フロイドは、映画に合わせてアルバムを制作したのか、それとも単なる偶然なのか。
「The Dark Side of the Rainbow 」の起源は誰も知らないようだ。Wikipediaなどで調べてみると、このシンクロが最初に発見されたのは、1990年代後半、インターネットの黎明期だったと考えられている。最初の発見者は不明だが、このシンクロの発見が現象化したのは、アメリカの地方紙のライター、チャールズ・サベージだそうだ。1997年に発表された記事で、サベージはこの不気味なシンクロニシティについて書いている。
これ以前に、急成長したインターネット文化のなかで、「The Dark Side of the Rainbow 」の音楽と映画の不気味な一致は、ある程度は広がっていたようだ。しかし、この新聞記事によって一気に不思議な現象として、多くの人が知ることになった。この時点の新聞は、インターネットよりも大きな影響力があった。まだ、インターネット時代の「バイラル」ということはなかったが、その不思議さゆえにバイラル化したのだろう。
それは、組み合わせが単なる人気映画と有名アルバムではなかったということだ。「オズの魔法使い」は、何度もテレビで放映され、米国議会図書館は2000年に、歴史上のどの映画よりも多くの視聴者に見られたと推定しているし、「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」は、史上最も売れたアルバムのひとつであり、その人気が今も衰えないからだ。その2つの作品が、シンクロするということは、多くの人の驚きだった。
私が実際に見たのは、昨日が初めてだが、偶然と呼ぶには難しいほど、音楽と画面がピッタリと合っている。Wikipediaによれば、このシンクロを体験するには、映画の冒頭、MGMライオンの3回目の咆哮からアルバムを始めるのだそうだ。ここから、音楽と映画は、驚くべき偶然の一致を見せる。見たビデオも、そのように作られていた。
シンクロニシティのひとつは、”Time “という曲で起こる。この曲の鐘が鳴り響く中、ドロシーが砂時計を心配そうに見ている姿が映し出されるのだが、これは、時間がどんどん過ぎていくという曲のテーマを反映している。
別の場面は、場面は、ドロシーは竜巻に巻き込まれ、彼女の家は空中で回転している場面の「The Great Gig in the Sky」だ。この曲のインストゥルメンタルとスキャットが、竜巻の場面のために作られたように聞こえる。
そして、ドロシーが竜巻に飛ばされた後で、家のドアを開けると、画面がカラーに変わる。この場面では「Money」のキャッシュレジスターの音がちょうど始まる。この場面も驚きだ。それからの展開も同じで、数えればシンクロは尽きない。
見ていると全ての楽曲が、映画の場面のために作られたように思えてくる。実際にピンク・フロイドを初めて知ったのは、映画「モア」のサウンドトラックのバンドとしてであった。彼らは、十分に映画に合わせて「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」を制作する能力を持っていたと思われる。しかし、Wikipediaを見てもバンドメンバーからエンジニアだったアラン・パーソンズまで全員が強く否定しているようだ。
別の説によれば、このシンクロは認知バイアスの結果であり、特に「アポフェニア」として知られる現象は、ランダムなデータの中に意味のあるパターンを知覚する人間の傾向だそうだ。この説によれば、私たちの脳は、たとえ意図的な同期が存在しなくても、音楽と映像の間につながりを見出す傾向が自然にあるという。また、もう一つの認知バイアスとして「確証バイアス」もあげられる。シンクロしていると思って見ていると、シンクロしている場面だけに目につき、そうでない場面は無視してしまう傾向がある。
多くの説や解釈があるにもかかわらず、「The Dark Side of the Rainbow 」の正体は謎のままだ。それが、ピンク・フロイドが絶対明かさない秘密なのか、偶然の一致なのか、あるいは認知バイアスなのか。理由がわからないからこそ、このシンクロの不思議さが増す。
「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」と「オズの魔法使い」の間の不気味なシンクロニシティの謎が解けないからこそ、これほど有名になり、現象化したとも言える。
このシンクロニシティは、新たなシンクロニシティを探す努力につながり、いくつか候補が話題になっている。「Synchronicity Arkive」と呼ばれるウェブサイトによれば、ピンク・フロイドの別の曲「Echoes」と「2001年宇宙の旅」のラストシーンや「Wish You Were Here」と「ブレードランナー」、「Wish You Were Here」と「AKIRA」などがシンクロしているという。これは、試してみる価値はありそうだ。「Echoes」も好きだし、「Wish You Were Here」も好きなアルバムだ。
ピンク・フロイドの音楽を聴きながら、オズの魔法使いの映像見て、昔のことを思い出していた。それは若くして亡くなったおじさんのことだ。おじさんと呼んでいるが、実際は父のいとこで私にははとこにあたる。
彼は、大学生の時に、ある問題を起こして、彼にとってのおじ、私にとっては祖父の家である私の実家に2ヶ月ほど預けられたことがあった。彼は大学生、私は中学生だった。田舎の中学生にとって、都会の大学生は全く違う雰囲気と文化を持って我が家にやってきた。
それ以来、たびたび我が家を訪れることになり、一緒に遊んだ。そして、プレゼントももらったものだ。その中でも高校生の時にもらった細かい花柄のシャツのことをよく覚えている。男が花柄のシャツを着ると言う事は、田舎の高校生には想像できなかった。あまりにもそれが気にいって、毎日着ていたので擦り切れてしまったほどだ。
その後、私が大学生になって、東京のカメラマンになっていた彼に会った。彼のオフィスは六本木にあったので、六本木の麻布警察署の前で数年ぶりに会った。彼はますます私にとっては憧れの存在だった。仕事を通じて知り合った多くの有名人の名前がでたりして、違う世界に住んでいるようだった。
それ以来、彼のアパートに泊めてもらったり、飲みに行くと言うようなことが続いた。その頃に2人でよく聞いていたのはPink Floydだった。「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」も聞いたが、ちょうどその頃に発売された「Wish You Were Here」(「炎〜あなたがここにいてほしい」)をよく聴いたものだ。YouTubeの「The Wizard of Pink Floyd」の後半で、「Wish You Were Here」が流れて、若くして亡くなった彼のことを思い出していた。
今朝は雨で散歩はお休み。