漱石の「現代日本の開化」

by Shogo

宮沢賢治の「春と修羅」を読みたくなって、広島に賢治の本がないので、Amazonで文庫本を買おうとした。文庫程度なら、あっても邪魔にはならないのでと思ったが、Amazonに行ってみるとKindleで宮沢賢治の全283作品が200円で売られていた。確かに著作権が切れており、青空文庫でも読めるので、デジタルならコストもあまりかからず200円で売っても、そもそも原価がタダなのだから商売になるのだろう。

おすすめで紹介され、他の著作権が切れた作家の全集も同じ程度で売られている。漱石も122作品が200円。中原中也全集は99円で買った。Kindleなら場所も取らないし、スマホですきま時間にも読めるので便利だ。次は。今まで読んだことのない作家の分も買ってみるのも良いかもしれない。

漱石全集は、大学生のときに岩波書店から、「こころ」の初版本と同じ装丁の立派な全集を買って、まだ実家にある。あの大きい本を読むのは面倒だからKindleで安く買えたのは良かった。

宮沢賢治を買った際に漱石も買ったのは、しばらく前から漱石が和歌山で行った講演、「日本の外発的開化と内発的開化」のことをずっと考えていたからだ。Kindleで見てみると、「日本の外発的開化と内発的開化」と覚えていた講演の題は、実際には「現代日本の開化」だった。記憶はあてにばらないものだ。

故郷である和歌山について、いくつか誇れる部分があるが、その中の1つは漱石が歴史的に重要なこの講演を和歌山で行ったことだ。漱石の講演としては、「私の個人主義」が有名だが、内容から言っても、この講演も非常に重要なものだと考えてきた。

この講演は日本のあるべき姿を考えた提案であった。1911年の、この講演の「内発的開化」の意味を誰も考えてこなかったのではないだろうか。いつも、そう思っている。

既にこの時代に日本は、日清戦争・日露戦争を経て、欧米列強に見習い帝国主義の道を歩き始めていた。漱石の言葉の意味を考えれば、まだ引き返せる可能性はあった。その後の第二次世界大戦の敗戦を経て、高度経済成長になっても日本独自の発展の形態である「内発的開化」について、日本人は何も考えてこなかった。そして2回目の敗戦と言われるバブル崩壊以降も、まだ、漱石が122年前に提示した問題を我々はまだ解決できずにいる。

漱石の言う外発的開化とは、単純に欧米の技術や知識を、そのまま日本に移植しようとしたことを指す。これに対して、内発的開化は、日本の伝統・文化・精神に根ざした進歩を意味している。

漱石自身も外発的開化の意味を理解せずに、これを排除ししようとしたわけではない。外部からの知識や技術を取り入れることの必要性を認めている。それだけでは、真の開化にならないと言っていたのだ。

この内発的開花の意味を考えると、漱石が一貫して考えてきた個人の問題にもつながる。封建的の江戸時代においては、人間は身分や制度に規定され、生きると言うことについてはついて選択の余地がなかった。しかし、この封建制度のタガが外れると人間は自由になった反面、自由の使い方がよくわからず、多くの悩みを持つことになった。自由になった人間は自分で生きる意味を見つけなければいけなくなった。それが、自我の確立の問題であろう。一人の人間として自分の内面を見つめ自ら考えて選ばなければ人間として独立していないと考えた。これは、後には有名な「則天去私」につながる。漱石は、この生きる意味について、作品でも、多分生活においても、考え抜いた近代人であった。

外発的開化と内発的開化の問題もこれと全く同じことだ。欧米から技術や知識を導入して、日本人の方がそれに合わせるような努力をしても、真の日本の開化につながらないと考えていた。漱石にとっては、単純に欧米の知識や技術を輸入して開化になるということは、封建時代を欧米従属に置き換えるだけだと喝破したのだ。個人の問題に置き換えれば、個人の内面を考え、生きる道を選ぶのではなく、封建時代そのままの生き方に思えたのだろう。

漱石の言う内発的開化とは、日本の伝統や文化をもとに社会が発展しなければいけないと考えだ。日本人が国のあり方を自分で考えて見つけなければならないと考えていた。そうでなければ、彼は、外発的開化は「上滑りの皮相的」開化になると警告した。

結果的には、この上滑りの開化は、国のあり方だけでなく、日本人の価値観や精神に大きな歪みを生じさせることになった。芯のない形だけの国や日本人になってしまった。国としては、単純に富国強兵の植民地主義欧米のモデルを取り入れて、日本人としての発展の問題を考えてこなかったツケだ。確かに、明治維新前後のアジアの諸国が植民地化されて、日本は独立を守れるかという瀬戸際にあった。日本独自モデルなど考えられなかったという状況は理解できる。だが、19世紀の終わりまでには、その危機的状況からは脱していたはずだ。それでも、自ら考えて国や日本人のあり方を考えなかった。それは、それから今まで同じだ。

漱石の講演から今までの日本は、彼の言葉での「自己の確立」を、国としても個人としても、できずに来た。その結果、国は独自の政治経済モデルを持っていない。そして、日本人一人ひとりは、漱石が書いた、近代人としての不安や孤独といった苦しみから解放されていない。

漱石の講演から112年。日本と日本人は、この漱石の外発的開化と内発的開化の問題の帳尻を合わせてられずにいる。

明治時代には独立を守るとい恐怖心もあり、自己防衛的な道だったかもしれない。第二次世界大戦後は、生きるのが精一杯ということだったかもしれない。だが、後知恵としては、独自の発展モデルを探す努力をしなかったようにも思える。このため、第二次産業革命までは追いつけたが、情報化の第3次産業革命には乗り遅れた。

今後は新しい使い方、テクノロジーの指数関数的な進歩に対応するだけではなく、テクノロジーと日本の伝統文化・精神との組み合わせを考えた日本モデルについての道を探るべきだろう。それは、単純に今までのようなGDP大国モデルではなく、精神的に豊かな国のモデルであって欲しい。

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