新しいものと古いもの

by Shogo

友人と会うために神田神保町まで行った。指定された店は、聞いたことのない喫茶店だった。その店は明大通りの坂の下のほうにあった。昔、何度も行った元の主婦の友社のビルのすぐそばだ。それでもこの店の事は全く知らなかった。

看板を見つけ、狭く、急な階段を上る。昭和の香りのする、狭く、もしかすると、たばこ臭い、小さな店を想像しながら階段をゆっくり上った。

そして、ようやく2階に着いて扉を開けると、そこには驚くほど広く心地よい空間が広がっていた。店は混んでおり、友人はカウンターの席にいた。カウンターは厚い板できており、その塗装の剥げかかった感じが美しい。まるでライカのブラックペイントが剥げて地金が出ているような、そんな感じだ。そして、目の前の壁一面には、たくさんのコーヒーカップが並んでいる。これをみた瞬間に、この喫茶店、「古瀬戸喫茶店」が好きになった。

カウンターに座ると、好きなカップ選んで良いと言われたので、ちょうど目の先にあった花の咲いた木の絵柄のカップを選ぶ。注文したのは、苦味のあるブレンド。普段の飲んでいるようなスタバのコーヒーの苦さではなく、遥かに豊かな広がりを感じる苦味だった。

その辺から昔話に花が咲いて店の事はどこかへ行ってしまったが、その落ち着いた広々とした空間の印象だけは深く残っている。いつの頃からか、古瀬戸喫茶店のような居心地の良い喫茶店ではなく、モダンなチェーンの珈琲店に行くようになった。それは、鶏が先か、卵が先かと同じようなことだ。居心地の良い喫茶店が消えていったからだ。古瀬戸喫茶店のような店があれば、間違いなくチェーン店には行かない。しかし、ここで考えるべきは、新しいものと古いものが共存するバランスの重要性だ。チェーン店が提供する便利さと、古瀬戸喫茶店のような店が提供する心地よさ。どちらも価値があり、どちらも必要だ。

チェーンの珈琲店のメリットはいくつかある。その中でも、大きいのは、サービスやメニューが一貫しており、どの店でも同じ味が楽しめ、失敗がないことだ。そして、Wi-Fiや電源、快適な座席などの環境が整っていること。さらに、チェーンによっては様々なメニューがあり多くの人のニーズに答えられる。北京にいたときは、一日一回はスタバに行って、日本と同じ環境で癒されていた。

これに対して古い喫茶店は、古瀬戸喫茶店のように素晴らしい雰囲気の店もあるが、そうでないところも多い。しかも大抵の場合、Wi-Fiや電源もなく作業や勉強するには、適さない。また、喫茶店は営業時間が限定されており、いつでも行けるものでもない。

このようにして、古い独立した喫茶店は消えてゆき、新しいチェーン店の珈琲店が増えていった。

これは、他の多くの分野でも見られることだ。新しいものは生活を便利にしたり、これまでできなかったことをできるようにする。一方で、古い伝統的なものは多くの場合、心地よさや温かみを感じる。万年筆で手紙を書いたり、アナログレコードで音楽を聴いたり、紙の本をめくるようなことだ。デジタル化されていないものの、温もりを感じることができる。

不易流行という言葉がある。この言葉のように、新しい便利さと伝統的なものがもたらす心地よさを同時に感じられるようなサービスや製品がもっと増えれば良いと思う。新しいものはより新しく、古いものは変化を嫌う。それでも、バランスが取れたサービスや製品がもっとあればと思う。それは無い物ねだりかもしれないが、そのバランスを求めること自体が、新しい価値を生む可能性がある。それが、新旧が共存する美しい街、美しい文化を形成する。

だから、古瀬戸喫茶店のような店はいつまでも残って欲しい。

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