オリンピックが開催中で、日本人選手も頑張っている。いい試合をしながら残念なケースもあるが、私たちの期待に応えている。
スポーツには、やはり様々な感情を誘発する効果がある。活躍する日本代表選手の姿に感情移入し、彼らの活躍をみることで、その感動を共有することができる。そこから日本人としての一体感が生まれる。あまり普段は考えない国を意識させる。つまり「にわかJapan」だ。
これは、どこから来るのかを考えてみると、普段はアトム化して孤立している自分が、どこかに所属している帰属意識が生まれるからだろう。普段から求めてはいるが叶えられなかったというということだろうか。自分にそのような思いがあるのかと考えされられる。とはいえ、それは考え過ぎで、単に努力を積み重ね最高の舞台で自らの極限を目指す選手の姿に、純粋に感動しているだけかも知れない。
このようなオリンピックと言うイベントが4年に一度訪れるのは良いことだ。だが、その反面、開催国にとって経済的支出を強いられる。もちろん経済的な波及効果を目指すという錦の御旗があるが、実際には、そのような効果は現実化していないとみるのが一般的だ。
The Council on Foreign Relations のオリンピックの経済効果の記事を読むと、オリンピック開催による経済効果は、雇用創出や観光客の増加、インフラ整備などが期待されているが、その効果は一時的で限定的だと指摘されていた。
1970年代以降、オリンピック開催費用は急激に増加した。最も有名な例は、1976年のモントリオール大会だ。予算を大幅に上回る費用がかかり、市民が30年近くその債務を負担することになった。2014年のソチ冬季大会では500億ドル以上、2016年のリオデジャネイロ大会では200億ドル以上、2022年の北京大会では390億ドル以上の費用がかかったと推定されていいる。ただし、ソチと北京は例外で、強権的な独裁者の意思によるもので、元々から経済的な収支などは気にしていない。
2021年に開催された東京2020大会も、会計検査院が2022年12月公表した報告書によると、当初予算の2倍以上の1兆6989億円を要し、コロナによる無観客開催で収入も大幅に減少した。今行われている2024年のパリ大会は80億ドル程度に抑えられる見通しだそうだ。今のレートでもかなり節約した大会になっているようだ。
The Council on Foreign Relations によれば、建設業など一部の産業で短期的な雇用が増えても、長期的な雇用増加にはつながりにくいようだ。また、観光客の増加も一時的で、むしろオリンピック開催年は観光客が減少するケースもあると言う。パリでは観光客の減少で、飲食業が痛手を受けていると報道されている。以前よりオリンピックには一般的な観光客が少ないのは知られている。主にスポンサー関連のビジネス旅行客だ。
巨額を投じて整備された競技施設やインフラも、大会後は十分に活用されずに維持費だけがかさむ「ホワイトエレファント」と化すことが少なくない。それは、今まさに東京で起こっていることだ。ちなみに、ホワイトエレファントは「巨費を投じながら目ぼしい成果が得られなかった計画」の意味だ。
オリンピック開催費用は主に公的資金で賄われるため、開催都市の財政に大きな負担となる。モントリオールは1976年大会の債務を30年かけて返済し、アテネは2004年大会の費用が財政危機の一因となった。リオデジャネイロは2016年大会の費用を捻出するため、警備費用を国に支援してもらった。東京2020大会も、1兆6989億円だが、施設の建設費まで含めると大会関連費用が6兆円を超えるとも言われている。それらが、ホワイトエレファントになっているのが現状だろう。
巨額な施設投資で、ホワイトエレファントを作らないためにも、開催都市は、一過性のイベントではなく、長期的な都市発展戦略の一環としてオリンピックを位置づける必要があった。既存施設の活用や、レガシー利用を見据えた施設整備など、持続可能性を考慮しなければいけなかったのだろう。
もちろん、オリンピック開催意義は、経済的な効果にあるのではない。スポーツの発展と国際交流の促進という点で意味深いものであることは間違いない。また、4年一度、多くの人が帰属意識を確認して一体感を感じるのは悪いことではない。しかし、巨額の費用をかけて短期的な経済効果を追求するのは、もうやめた方が良い。また、日本にオリンピックが戻ってくることも、遠い将来にはあるだろう。その時には、もっと良い知恵を持った人が携わってくれることを祈ろう。