中国に赴任する前は、中国は、個人崇拝の全体主義とかのイメージがあって、好きになれなかった。それに、アメリカの大学に留学した時は、1989年で、天安門事件の直後だから中国のイメージは最低だった。その後のニューヨークでも、中国系の人は、中国本土は石器時代にあるとか言っていた。今、考えてみれば当たり前で、当時ニューヨークにいたような中国系の人は、みんな台湾系か香港系だった訳だから、中国本土は嫌いだったのだろう。
21世紀にはいって出張に行った時もすごく近代的な反面、あちこちに汚い建物が残されているギャップに驚いた。なので、そんなイメージがあったので、赴任を一度は断ったものの、サラリーマンなので結局、北京に行くことになった。行ってみるとその数年前に出張で行った時と同じくギャップはあちこちに残されていて、それがあまり好きではなかった。
その頃までは近代化がすべて是であり、古いものは汚いものという考えに侵されいたのだ。文化財や美術品はもちろん別だが、古くなったものを新しくつくり替えていくことが進歩だと考えていた。GDPは常に増加し、会社の売り上げは常に前年を超えていく。生活は常に豊かになり子供の世代は親の世代よりも物質的に豊かになっていく。常にもっともっとという病が、全身に廻っていた。
北京市内の南の方のあまり豊かでなさそうな胡同を歩いたり生活ぶりをみていると、豊かさの概念が変わって来た。そして中国の田舎を旅行をしていると、驚くほど豊かな生活を、日本人から見れば驚くほど低い所得の人たちが送っているのを見るにつけ価値観が違っていることに気がついた。
豊かさとは必ずしも金銭では量れない。生活の質は政治経済体制の影響を大きく受けるのは間違いないが、自分の生活の在り方でも変わってくる。
旅行に出ると、どの国でもマーケットやスーパーをみてその国の生活を想像するのだが、中国でもいつも市場に行っていた。それで、どの市場でも売られているものの豊かさや新鮮さに驚かされた。凱里の市場でも広大な路上の市に集まる物や人に圧倒された。このエリアではまだ車を買える人はごくわずかだろうが、それでは生活は貧しいかというとそんなことはない。生活の質はかなり高いと思う。
どこにも地上の楽園は存在しないが、地獄は確かに存在する。中国の場合には、言論の自由が制限され様々の選択の幅が狭いのも事実。でも地獄のようには見えない。人々はそんななか楽しく生きているように見える。少なくとも私には。
この項続く