宮嶋康彦「日の湖 月の森」

by Shogo

子供が死ぬ話の本を読んだり、そういう映画は見ないのだが、宮嶋康彦さんの「日の湖 月の森」は例外的に読もうと思っていた。それは、風景の写真家と思っていた宮嶋康彦さんの自伝的な小説で、後に有名になる奥日光の小田代原の貴婦人と呼ばれる白樺の老木を撮り始めたきっかけとなる話と聞いたからだ。宮嶋康彦さんの前に、あの木を撮った人がいたかどうかは知らないが、宮嶋さんの写真集で有名になったと思っている。あの木は、北海道の美瑛にあるケンとメリーの木と同じくらい有名な木だ。

やはり冒頭の幼い娘が亡くなる前後では涙してしまった。娘の葬儀が済むと彼と妻は写真を撮るためではなく、悲しみから東京を逃れるために奥日光に旅館の下働きとして夫婦で住み込み、奥日光の自然に触れ始める。それ以前は風景の写真は撮らなかったので、最初はカメラを持たなかったのだが、だんだんカメラを持って野山を歩き回るあたりでは、撮ることで救いを求めようとする感じが想像できた。夫婦ともに見るもの感じるものが、すべて亡き娘に見えたのだろう。

白樺の老木の夜明けを10年撮ったそうだが、自分の死んだ後も、その木が生きているとを書くことからも、その写真は、娘の、そして自分の生を写そうとしたものかと思われる。私のような、おじさんの芸術家きどりの訳の分からない写真とは、込められたものが別次元なのだ。読んでいて、自分がかつて撮った数万枚の写真に、撮らずいられない渇望があったのかと問うてみると、多分ない。あるとすれば何枚かの両親を撮ったものと、娘が生まれた時に分娩室で撮ったものだけかも知れないと思った。

もう少し、宮嶋康彦さんの本を読んでみようと思っているが、Amazonで調べるとあまりに数が多く迷ってしまう。氏は小林紀晴さんのように写真家の枠に収まらず小説家でありノンフィクション・ライターでもあるので、多くの著作があるようだ。

日曜日の午前中に用があって新宿まで出かけたが、まだ日が差していて朝帰りの若者たちを照らしていた。そして、昼前から曇って午後には雨になった。だから写真も撮らず自転車も乗らずに終日、読書して過ごす。途中で井本さんの写真集をぱらぱらと見ていた。たまには雨の日も良いだろう。

今朝は雨は上がっていたが、朝方まで降った雨のために道路が濡れていてエルの足元が汚れるのですぐに帰ってきた。

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