「脱『風景写真』宣言」 宮嶋康彦

by Shogo

「日の湖 月の森」 を読んで感銘を受けたので、また宮嶋康彦さんの本。中身を見ると単に写真の話のようでなかったので、次はこれにした。読んでみると写真のことというより、宮嶋さんによる人生論だ。

幼い長女が亡くなった後で移り住んだ奥日光の話も出てくるし、小田代原の白樺も話も書かれている。特に印象的なのは、奥日光に住んで森の奥を歩き回るようになったときに、静かな森の奥でミズナラの木が物音をたてたので、亡き娘だと思って何度も名前を呼び掛けたエピソードだ。これだけで、その時の彼の気持ちの一端をうかがい知ることができる。その後、彼は何度もその木を訪れ長い時間を過ごし、時にはその木の根元に夜中寝たそうだ。その深い悲しみが伝わってくる。

 もう一つ印象に残ったのは、写真のこと。「自分のサイズに合ったテーマをかかげ、地道に撮り溜めてゆくことだ。テーマが見つかれば、一過性のキレイな写真が色褪せて見えてくる。自分にも、見るものにも、何も響かないことが判ってくる」の行は、腑に落ちる。そういうことなのだ。だから単なる花鳥風月は撮ってはいけないのだ。いちいち同感しながらあっという間に読み終わった。

鰹を追う夫婦の漁師やカバの子孫を訪ねる話も興味深い。でも、この本の中で一番気に入ったのは次の文章。親鸞と写真を撮ることについて語られた部分。長いが、そのまま引用する。

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「脱『風景写真』宣言」 第8ページよりの引用

「もとより、死は暗いものではない、というのがぼくの死に対する考え方である。人の命の究極は、自然な死、麗しい死を迎えることではないか。そのために一生かけて「自分探し」をするものと思っている。

 そうはいっても死を明るくとらえるには、まだまだ未熟者、ぼくの考えよりも親鸞の逸話は、写真生活の上にも、おおいに参考になるだろう。臨終の床にある人に向かって親鸞は『あなたは闇の中からこの世にやってきた、あなたは今、あなたがやってきた闇へ戻ろうとしている』というような言葉で諭したという。その人は安堵の表情を浮かべて元の闇の元へ帰っていった。」 

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