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旅行などのために忘れていたが、今週は清明節のために三連休だった。昨年から休みの分散のために5月の労働節の連休が短くなり、そこで減らした2日間の休日の代わりに4月、6月、9月に三連休ができたのだった。天気も良く、先週は中国南部で寒くて震えていたのと違い、少し歩くと汗ばむ陽気で気持ちが良い。
北京は、春秋戦国、前漢、後漢、北魏、随、唐の各時代には、中国の辺境の一都市として現在の場所にあった。名前は色々だったようだが、現在の場所は大きくは変わらない。中国中原に発生した中国文明から見れば辺境というだけで、北京の地は山に囲まれ東北部では水に恵まれた交通の要衝だったようだ。この時代に使われた薊城という名前が、いかにも辺境の要塞の街というイメージがある。
その後、金や遼といった東北地方から発生した国の都市となっていたが、特に遼の時代には燕京と呼ばれ重要な都市として栄えた。元がモンゴルから中国を支配すると、遼、金の時代の街の東北の地に大都という名前の都を築いた。この時の大都の城壁の址が現在でも残っている。二環路の外側、地下鉄10号線の南側にかなりの長さに渡って公園が広がる。
元朝が滅んで明朝の時代には、元の大都の位置を南に下げたので、この元の城壁の北側の部分は明の時代の北京の外側になってしまった。
つまり、最近になって都市化が進み、北京の郊外が街並に飲み込まれてしまうまでは、元の時代の城壁は北京の外側にポツンと建っていたわけだ。そのイメージに誘われてこの公園を歩いた。現在は街のど真ん中なのでそんなイメージはない。明の時代に煉瓦で強化された壁ができたが、元の地代には土の壁だったので当然、風化はしているが、土の壁らしい雰囲気は残っている。