寧夏(ニン・シャ)の銀川(イン・チュアン)への旅行の続き
北京首都空港を7時50分に出発して、銀川河東空港に着いたのは9時30分前。そのまま、ガイドさんに案内されてバスに乗り込む。こういうツアーに参加した経験があまりないのだが、昨年の九賽溝の旅行の経験から中国国内の個人旅行は私には無理そうなので、今回は団体旅行。
空港から最初に連れて行かれたのは、水洞溝(シュエイ・ドン・ゴウ)という一種の歴史遺跡公園、公園と言っても非常に広大。中で馬車、船、ゴルフカートと三種類の移動方法を使って見学した。見学できる遺跡は石器時代と明の時代のもの。
中には荒れ地が広がる。ゴビ砂漠の一部だそうだ。ゴビ砂漠という砂のいわゆる砂漠はなくて、ゴビ砂漠は土と石ころでそこに草が少し生えている土地が延々と続くような場所だということ。雨が少ないのと、たぶんその時は説明されなかったが、土質が塩分を少し含んでいるので植物が育ちにくいのだろう。
粘土で出来た自然の壁を通り抜けて歩いていく。
山際に地下へ降りる階段があった。ガイドの女性が先導する。彼女の言うことは私には分からないので、英語のできるガイドが後に続く。
ここは明の時代の地下砦。兵士たちがこの地下の迷路のような砦で、モンゴルの軍隊と戦ったのだろう。
地下の砦はいくつかの場所で切り通しのような場所の中腹に窓が開いている。
これが窓。空気や明り取りではなく、ここから下を通る敵を攻撃するためのものだろう。
地下の迷路は観光用に中の壁が造り替えられ、あちこちに照明も取り付けられていたが、かつては真っ暗ななかで生活していたのだろう。将軍の部屋や兵士の部屋、牢屋、下に槍が取り付けられた落とし穴などいろいろなものが残されている。
迷路から外に出ると、中国人の団体が入っていった。中国の団体旅行の特徴はみんなで同じ帽子をかぶること。
ここからは、ロバの馬車で次の遺跡に移動。
中には池や湿地帯があり、塩分にも関わらず植物が茂っている。
モンゴルとの国境近くのこの砦は、万里の長城の内側にある自然の要塞だったのだろう。この山の粘土のような土は加工も容易で地下を掘るにも適していたし、万里の長城の材料にもなっている。雨のが少ないことも幸いしてあのような地下の迷路が維持できたのだろう。
また、黄河の水が茶色なのもこのような土質の場所を流れているからだと思われる。
この項続く。