写真家の川内倫子を知ったのは、渡部さとるさんのワークショップに行っている時だ。渡部さんに彼女の写真集「うたたね」を見せてもらった。最初に見た時は、いわゆるガーリーフォトと、ひとくくりにしてあまりよく見なかった。ハイキーな淡い色調の、やや青みがかったスクエアの写真は、まったく好みではなかった。私にとって写真とは、2対3のアスペクト比で黒が美しい、階調の豊かなモノクロのものだ。だから最初から受け付けようとしなかったわけだ。多分、それより前の時代のガーリーフォトの時代の写真として、よく見もせず拒絶した。
しかし、その後何度か写真集を開くうちに単に心地よい写真が並んでいるだけではないことに気がついた。よく言われる彼女の写真の意味する「生と死」だけではなく、感情の揺らぎのようなものを、写真集をめくっていくうちに澱のように溜まるのを感じた。今では、好きな写真家の一人だ。
その川内倫子が初台のオペラシティーのギャラリーで大規模な展示を行っている。前の展示は東京都写真美術館だったから、もう7、8年にもなる。今年の初めに日本橋三越のギャラリーで小さな展示があっただけで、大規模な展示は久しぶりとなる。
会場には三越でも見たアイスランドの写真も多く展示されていた。それ以外の作品も展示されていて、障害者福祉施設のやまなみ工房のシリーズもあった。そこには、彼女の別の面も見た。全く知らなかったシリーズなので、初めて見て少し驚いた。それは彼女が、誰もの目の前にあっても、誰もが気づいていないような、美しさや驚きをすくい取ることだけを行っていると思っていたからだ。具体的な、意味のはっきりした障害者福祉施設の写真と彼女が結びつかなかった。しかしよく考えてみると、前の東京都写真美術館の「あめつち」は、阿蘇の野焼きをテーマとしており、意味のある対象物を撮っていることを改めて思い出した。
会場では、何箇所かで、動画が上映されていた。「あめつち」の時はおまけのような感じであったが、今回はしっかりとした動画を見せる展示になっていた。
写真の展示に行って、あまり真剣に動画を見る事は無い。しかし、今回の川内倫子の動画は、全てを見るつもりがなかったが、結局見入ってしまった。左右に2つ並んだスクリーンで映し出される動画は、何秒かで別の動画に次々と替わっていく。切り替えのタイミングが違うので、組み合わせも替わってゆく。
2つ並んだ動画は、まるで写真集の見開きのように感じて、それが刻々と替わることで新しい感覚を見出すことが、繰り返される。それぞれの動画も、川内倫子の写真の世界だ。
つまり、普段あまり意識しない日常生活の中の美しさ、もろさ、儚さを伝えるかのようだ。映像が、1周するまで、30、40分はかかったのかもしれないない。だが、あまり時間を感じなかった。見ていて非常に心地よく、時間忘れるような、そんな体験だった。動画を見ていて見飽きないというのはあまりない。
別の動画の展示は、天井から床に様々なイメージが写し出される。その部屋は展示としては面白いのだが、映像としてはあまり鮮明でないために全てを見る事はなかった。
展示の最後の日は巨大な部屋で、その壁一面に映像が照射される。直角に交わる2つの壁に別々の映像が展示されるところは、最初の動画の展示と同じだ。左右の動画がそれぞれ短い時間で切り替わっていくところも同じ。
どちらの動画の展示を見ても、やはり川内倫子が、2つのイメージを並べることにより別の新しい世界を作り出そうとしていることがよくわかる。この大きな部屋の展示は、映像が大きい分その映像の世界に包み込まれるような感覚がして、こちらも心地よかった。ただ残念なことに、大きな部屋の壁の映像展示は短い時間で一周してしまった。だが、それでも、同じ映像をしばらく見るほど、見飽きない映像だった。
展示を見終わって思ったのは、写真家として川内倫子を考えていたが、映像の展示を見ても、すでに彼女はその枠には収まっていないことがよくわかった。杉本博司は写真も撮る美術家だ。同じように川内倫子も、写真も撮る美術家と言うことなのだろう。
今回の展示のタイトルは「M/E」。Mother Earthの略で、さらに、自分のmeにもなっているということだ。単に、アイスランドの地形や気象などを意味している程度に思っていたが、映像の作品を見ていると、アイスランド以上に、私たちを取り巻く環境や生活そのものを指しているように感じてきた。展示のタイトルも、サブが「球体の上 無限の連なり」となっていて、地球、環境とそこで営まれる生活の全てを意味しているようだ。
東京での展示は、12月18日までだから、もう一度行くかもしれない。