「銀塩カメラ辞典」赤城 耕一

by Shogo

日曜日は天気が良くて、午前中にベタをとってプリントを始めたのだが、昼食後に天気に誘われてカメラをもって自転車で出かける。どこかのギャラリーまでと思っていたが、結局は最初に南下したこともありギャラリー方面には向かわずに写真を撮って自転車で走っていた。

最近、so-netでブログを始めた赤城耕一さんの「銀塩カメラ辞典」の本を読み終わる。もったいなくて少しずつ読んだので時間がかかった。氏のカメラの本は大抵読んでいるがいちいちもっともな内容で読んでいて楽しい。僭越ながらカメラへの趣味が似ているようだ。高名な写真家・カメラ評論家を捕まえて失礼だし見識もおよびがつかないが、カメラに対する考え方がまったく一緒だ。

こういう本の欠点は、欠点だとすればだが、取り上げられたカメラやレンズを使いたくなくことだ。古いカメラやレンズが多く、氏の言葉を借りると「晩酌一回分の値段で」買えるようなものも多いが、こちらはもうカメラは増やさないと決めているが、レンズは少しは良いかなとは思っている。今使っているカメラのマウントのものだけというように決めているので、誘惑にはNOと言えるのだが、読んでいる途中でぐらっときてしまう。これも氏のカメラに対する深い博愛主義への共感からだ。

これほど、古い金属に対する愛情はどこからくるのだろうか。というか、エンジニアリング・プラスティックでできたカメラへの拒否感はどこからくるのだろうか。環境には優しくなくて、ごみとして永遠に近いほど残ってしまうからだろうか。金属でできたカメラについてはたとえ好きでない種類のカメラであっても、そんな嫌悪を感じないので、金属が好きということだろうか。だからと言って釘や金槌を集めたりはしないが。

今日からまた1週間。昨日の筋肉痛はまだ出ていないが、昨日は丘の上り下りが多かったので明日あたり痛くなりそうだ。

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