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何度も書いているように北京の南の方の町が好きだ。こちらは旧外城の町で古くから庶民の町だった。特に清の時代には、旗持ちと呼ばれる満州族と漢族でも高級官僚しか故宮の周辺の内城の中には住めなかったし、師弟の教育のために、商店や飲食店もあまり内城の中にはなかったそうだ。
だから飲食店や商店などの良家の師弟を堕落させるようなものはすべて南側にあった。皇帝やお大臣もたまにはお忍びで通ったのだろう。
大柵欄のエリアは、古くよりいわゆる赤線エリアで、明の時代からあるらしい。夜になると通りの両側に柵をしたのでこの呼び名になったということだ。オリンピックに向けての都市改造の一環で前門大街が車の通れない大テーマパークのような通りになったので、古い胡同を壊して前門大街と平行に車やバスの通る大きな道を通した。これは、私が北京に来た頃のようで、昨年までその道の周辺の工事が続いていた。その道は煤市街という名前で、この道ができたために、大柵欄は二つに分かれている。
私が良く行くのは西大柵欄という街でこちらは観光客と庶民の街の雰囲気が残る。東の前門大街と直結する大柵欄はやはり大改造と大改装が行われ、老舗のならんだ銀座のような町並みで面白くもなんともない。こちらの方は1900年の義和団事件の際に8カ国連合軍に焼き討ちされて完全に燃えてしまったので、その時に近代的な建物が再建築されたそうだ。それが、オリンピック前に改装されてレトロモダンな雰囲気を出している。ただきれいになったので前門大街同様、ディズニーランドのような感じがする。
この項続く