盧溝橋 #1

by elmarit

先々週の週末、大学時代の友人が訪ねて来て、歴史が分かる場所に行こうというリクエストで選んだのが盧溝橋。金の時代の1189年に建設が始まり1192年に完成したそうだ。この1192年は私でも覚えている日本史の重要かつ覚えやすい年だ。

廬溝橋は現在は歩行者用道路で、観光客は20元払って入る。地元の人には生活用の橋らしく、買い物籠をぶら下げた人や自転車が通り過ぎる。気温も低いので私たち以外の観光客は数人見かけただけで、ほとんど地元の人が通り過ぎる。

日本と中国の歴史では有名な場所だが、私の方はむしろマルコポーロ橋を見てみたいということだけでやって来た。13世紀にはマルコポーロがこの橋を通って元の都、大都(当時の北京)に入り、後に「東方見聞録」で最も美しい橋と述べたということだけは知っていた。そして、この橋の欄干の上にあるのが501体あるとされる石獅子も有名だ。

10年ほど前に改修され、歩行者専用道路になった。ということは車もそれまではこの橋を通っていたということだ。当時はまだ車も少なかったのだろうが。改修後は、真ん中にだけ昔の敷石が残されている。

北京は近世までは交通は南からの運河に拠って来たため、物資や人はみんな北京南西部にある盧溝橋とそばの宛平城を通って都に入ったそうだ。

900年近くも前に作られたため、風化や事故、落雷など様々な理由で、この石獅子は破損したので、何度も作り換えられてきたそうだ。時代によっても様式が違い、顔や体の大きさや頭の模様など大きく分けて5種類あると、そばの博物館の説明にあった。

中国の表現に数えられないほどたくさんあることを、盧溝橋の石獅子のように多いという表現があるらしいが本当にたくさんある。だが、その501の理由がどこにも書かれていなかった。この数にどんな意味があるのだろうか。中国の数字に偶然ということはないと思うが。

橋の反対側まで歩き振り返る。

橋の反対側でチケットを見せて外に出たが、普通の家が並ぶだけで何もない。少し進むともうひとつ近代的な橋のある手前に古そうな建物があったが、後で博物館で見ると王子のための廟のようだった。

この項続く

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