盧溝橋 #2

by elmarit

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明の皇帝がここで朝方に月を見て、この文字と詩を書いたそうだ。 それで、ここは暁の月見の名所らしいが、北京の中心部から朝方に月を見にくるには遠すぎる。それよりもフードが緩んでいたのか画面の隅がけられている。

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橋の手前には博物館とみやげ物屋があるが、みやげ物屋の建物はたくさん並んでいるが冬のためか1軒を除いて空だった。

ここに来ると触れなければいけない出来事がある。1937年7月7日に起こった盧溝橋事件だ。これについては特別の感慨も興味もない。歴史とはそういうものだが、この事件については後からここで起こったことが重要になっただけだ。たまたまこの場所で起こっただけで必然性は少ない。ただ、この場所が当時の日本軍の演習地だったために確率は高かったかもしれない。

1900年の義和団事件以降、日本を含む8カ国は北平市(当時の北京の名)に駐留軍を置いていた。なかでも日本軍は最大の勢力だったそうだ。当時までに諸外国と同じように中国において権益を拡大するという方針が決まっていたのだから、どこかでこのような事件が起こり戦火が拡大するのは必然であっただろう。たまたま現在、私たちが知っている盧溝橋事件と呼ばれる出来事がここで起こっただけだ。

この城楼の向こうが宛平の街。 街には観光客相手の店や地元の人向けの店が並ぶ。最大の施設は町の中心の広場の前に建つ抗日戦争記念館。

抗日戦争記念館は目的のひとつだが気が進まないので、手前にあった古い北京について展示している民間施設に10元払って入る。ここは古い北京の町並みの模型があったり、関連のものが展示されていたり、二階では地元の人らしき人たちが楽器を演奏していたりしてそれなりに楽しめた。

それで、とうとう抗日戦争記念館の前へ。チケット売り場に向かうがチケットは売っていなく、制服を着た係員が電車のチケットのような紙のチケットをくれる。教育施設なので入場は無料のようだ。空港のようなX線の検査機に荷物を通して入場。

何の意図もなく感想だけ簡単に書く。歴史を追って日本の侵略が説明されていく。そして、予想していたとは言え、歴史を追って展示される日本の侵略のなかでも、日本軍の暴虐というコーナーはちょっとショックだった。非戦闘員の殺害、都市の破壊、略奪、強制労働、人体解剖、生物化学兵器の使用など目をそむけたくなる写真がたくさん展示されている。私と友人は一言もしゃべらず黙って写真を見つめた。周りでは大人が子供に何か説明している。リーベン(日本)という言葉だけが聞き取れる。

靖国も説明されている。何の解決も思いつかないが、やはり何らかの形で決着をつけないといけない問題だと思った。

最後に日中国交回復からその後の交流という展示があり多少気分が救われる。この施設は小学校などの見学で必ず訪れるところだそうだ。多くの中国人の日本観がここで作られるのだろう。また、当然中国の教育施設なので現在の政権の史観が反映されている。例えば国共合作や国民党との内戦は触れられない。歴史とは後世の誰かの意図で編集、再構成されるものだから当然だろう。

ひとつだけお願いしたいことがあるとすれば、当時の日本軍の兵士もまた被害者だったということだ。多くの普通の日本人が徴兵され銃を持たされ引き金を引くことを命令されたのだ。多くの日本人もまたあの戦争の被害者だった。そのことは分かって欲しい。

施設の見学を追え、昼過ぎだったが一刻も早くこの場所を立ち去りたい気持ちが二人ともあったのか、タクシーを捜して足早に町の中を歩いた。

この項終わり

明日から旅行だが、ネット接続の有無が不明な田舎なので27日に予定投稿。

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