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牛街(ニュー・ジエ)の続き。ここに住む人が普通の北京語をしゃべるのかどうかは私には分からない。私の目には普通の北京人も街にしか見えない。民族の違いとかも気がつかない。
自転車修理屋さんが休憩中。
家族で食事。手前で犬が寝ているのがおかしい。
清真がイスラムと言う意味らしいのでわずかにイスラム教の街の片鱗がうかがえる。
この街でも自転車とリヤカーが活躍。
どこにでもあるような商店が並ぶ。
イスラム風の北京ダック屋と書いてある。緑はイスラムの色なので牛街の雰囲気が出ている。
ここにも清真(イスラム)の食べ物。
消えてゆく街。でもそれは牛街だからではなく、再開発の進む北京だからだろう。
調理用の練炭が捨てられていて、住民が全員移って行った訳ではないことが分かる。
どの家にも撤去と書かれている。
すぐそばに高層住宅がせまる。
いろいろなものが緑色に塗られているのでここが牛街だと分かる。
イスラム風の建物が。
学校のようだった。
北京が中国の統一王朝の首都となったのは、元の時代のことだ。元は言うまでもなくアジアから中近東、ヨーロッパにまたがる巨大な国を築いたから、当然、その領内のイスラム教徒と交流もあったのだろう。そんなイスラム教徒が首都、北京に移り住んでも不思議はない。そう考えると牛街の歴史は元が北京を都にした13世紀までさかのぼれるのかもしれない。現にこの街にあるイスラム教の寺院はそれくらいの歴史を持つようだ。