牛街(ニュー・ジェ)には牛街礼拝寺がある。中国のイスラム教のモスクはすごく中国っぽい。仏教の寺とどこが違うのかよく分からない。朝陽門のそばにある清真寺(イスラム教寺院)はまったく仏教の寺に見えて、金色の三日月が屋根に飾られている。
昨日、北京のイスラム教徒と元の大帝国の話を書いたが、あれは誤りで、この寺の創建は996年で、元が大都と言う名前で今の北京の場所に首都を建設したずっと前のことだ。元とは関係なく、北京にイスラム教徒はいたことになる。
元が首都を築く前には、遼の五つの都のひとつが今の北京であり、燕京と呼ばれた。その名前は今の北京の代表的な国産ビールとして、私にはなじみが深い。その時代には 皇城は現在の北京の南西のあたり、つまり牛街のある辺りに築かれていたそうだ。
996年は宋の時代だが、宋の支配は華北には及ばず、遼が北京を含む華北地方を支配していた。そんな時代にこのイスラム教の寺院は建設されたことになる。
その遼の時代以前にも、北京の地は交通の要所ですでに街はあったそうだ。この北京の地をたくさんの人、民族が通過、あるいは移住してきたのだろう。多民族、多宗教の人たちがこのに住み、いくつもの王朝の栄枯盛衰を見て来たことをこの寺の存在が教えてくれる。
この場所でも金色の三日月を探したがなかった。
寺への入場は有料で10元だった。
イスラム教の影響がこの建物のどこに反映されているのか良く分からない。強いて言えばアーチ型の出入り口だろうか。
文字が見えるが、アラビアの文字とは違うような?アーチの周りの装飾は確かに中国のものではない。
寺の裏手。花が咲いている。
中国の建築にはつき物の走獣、屋根のひさしの装飾、も見える。このあたりは典型的な中国風。
観光客っぽい人もいるが、多くはお祈りに来た人のようだ。
元は何の形をしていたのだろう。歴史を感じさせる。
パンのようなものがたくさんあるが、寺と関係があるのだろうか。それとも配達の途中。
寺の人にトイレの場所を聞いたら、外の公衆トイレを使えと言われたが、異教徒には寺のものを使わせないということなのか、本当にトイレがないのか分からなかった。