東交民巷 東側
東交民巷
東交民巷は、長安街の少し南に、長安街と平行に東西に伸びる通りだ。東は崇文門内大街から、西は天安門広場まで続く。
手元のガイドブックと道にあった説明(中国語なのでほとんど推測ですが)を総合すると、「義和団事件」の後に結ばれた『北京議定書』(辛丑条約)によって、長安街から南のこの辺りが租界として(説明には使館界)となったという説明がある。また辛丑条約には国辱的なという説明がある。そのため、この辺りは上海の外灘のように外国人の住む地域だった。そのため教会があり、煉瓦塀の町並みが西洋風の感じがする。元々、住宅街だったためか、並木通りの静かな通りだ。
1901年の義和団の結果、日本を含む8カ国が北京を占領し、その後駐留する。そしてその11年後清朝は滅亡している。中国の歴史にとって大きな事件だ。義和団は、「扶清滅洋」を唱えた民衆の集団で、考えてみれば、その50年ほど前に日本では「尊皇攘夷」というスローガンで。外国勢力を排除しようとした。日本は幸い、独立を守ったが、中国はその後、日本を含む外国勢力に蹂躙されることになる。
日本と関係するたくさんの事件が中国にはある。個人的にはどの様に対応して良いのか分からない。この国にいて接点が増えてくると、そういう経験が増えるはずだが自分では整理ができない。アメリカにいた時に、12月7日がくる度に真珠湾の話がニュースに出てきて居心地が悪い思いをした。だからといって私に誰も真珠湾のことを言うわけでもない。過去の事は過去の事として、個人的に誰も持ち出さないが、私個人としては考えてしまう。中国でこういう事件の記述を見ると同じ感じがする。単純に居心地が悪いのだ。
大きな並木のある落ち着いた通りだ。
教会が王府井からまっすぎ南に行ったところの交差点のそばにある。
元の横浜正金銀行
東交民巷の説明