所有するということ

by Shogo

家のそばにあったTSUTAYAがなくなって、4、5年たつのだろうか。もっとかもしれない。TSUTAYAになる前は、ブロックバスタービデオだった。

昔は映画を見るのは、映画館か有料チャンネルやレンタル、それ以外ではテレビで見る古い映画だった。CATVか衛星で有料チャンネルにも加入していたが、レンタルはよく利用していた。

DVDレンタル店がなくなったのと、ストリーミングかオンデマンドで映画を見るようになったのと、どちらが先かわからないが、いつの頃からかDVDレンタルをしなくなった。そして、TSUTAYAがなくなった後で、時々不便に思うことがあったが、そのうちに慣れた。ストリーミングサービスも、最初はAmazon Prime会員におまけでついてくるPrime Videoだけだったが、Netflixに入り、今年はDisney+にまで入ってしまった。時間もないので、契約が多すぎる気もするので、Netflixをやめたいが、家族が反対するので、当分このままだ。

世界的に見ても、ストリーミングサービスがDVDなどのパッケージを駆逐しているのは明らかだ。サブスクのストリーミングサービスは、2017年からコロナ禍を経て2022年までに3倍に増え800億ドルに達したそうだ。この間にDVDなどの映像パッケージソフトは30%近く減少している。

日本の映像ソフト市場でも、レンタルとセルのパッケージソフトは両方で減少が続き、 2021年の数字で2720億円となっている。一方、サブスクストリーミングサービスは4324億円に達した。パッケージソフトの市場を2020年の逆転して以来、差が開き始めている。

私たちの世代は、音楽や映画を物理的なフォーマットで所有することに喜びを見いだした。パッケージを並べて、その棚を見ると言う所有の喜びがあった。音楽にしても、映画にしても同じように、好きな作品については所有したくなったものだ。だから、音楽はもちろん、映画も好きな作品については、ビデオテープやDVDで購入してきた。しかし、デジタルのストリーミングになるともはや所有と言う概念はなくなる。もちろんデジタルでもダウンロードしてデータを購入することができるが、目で見ることができない。

これは写真も同じだ。デジタル写真になって、プリントという物理的な形で写真を所有するという感覚が消えた。たとえNFTで保証されている一点物のデータであっても、デジタルを手で持つことができない。これは古い世代の感覚であって、これからの新しい世代は、そのような感覚を前の世代が持っていたことなど考えないのかもしれない。

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