好きな写真家を3人挙げるとすると確実に入るルイス・ボルツ(Lewis Baltz)の写真展というので連休中に急いで見に行った。電車で行くと遠いのだが、自転車だと写大ギャラリーはすぐだ。内容を知らずに行ったので、行ってちょっとがっかり。好きなニュートポグラフィーの写真ではなく、あるいはこれもニュートポグラフィーに位置づけられるのかもしれないが、砂漠の中のお散歩写真という雰囲気であまり好きではなかった。
対して、 柴田敏雄はモノクロだけで黒いプリントがやたらとカッコイイ。期待していったルイス・ボルツとは違い、重い感じのプリントの美しさに大満足だ。大判で撮っている人だから、ちょっと大判に心が動く。危険だから考えるのはやめよう。
展示されていた写真は、ルイス・ボルツが面白いものを探して歩いて、それから撮ったような感じで、ここを見てという意思が明確に感じられるのだが、彼の有名な作品は、どこにでもあるような建物の正面をただ撮っただけで(勿論、いい建物を探し歩いて撮ったとは思うが)、ここを見てというより世界を世界のまま受け入れているような感じがする。それが、シュールレアリズムやミニマリスト的に心地よい写真になっている。ずいぶん真似して撮っているが、同じようにはならない。決定的瞬間の写真やここ見て写真も良いのだが、それは一瞬で意図が判ってしまい、写真としての魅力はあるのだが、長い間見続けることはできないが、世界をそのまま受け入れて撮った写真は長い間の観賞に耐えうる。
ルイス・ボルツはロバート・アダムスらとともに、ニュートポグラフィという写真の流れの一派に属していると考えられるが、パリの街をありのままに撮ったアジェや給水塔などをカタログの様に撮ったドイツのベッヒャー夫妻の影響を受けた写真家だ。基本的にこの方向が好きなので、対象をそのまま撮るということで言えば、大判のカメラで露出を絞ってパンフォーカスで撮りたい欲求が生まれてくるのだが、そこはぐっと我慢して、35mmかスクエアでルイス・ボルツの気分だけ味わうのが、日曜写真家の王道だろう。
昨日は雨ふりで寒かったせいか、少し回復していた風邪がぶり返してだるいのだが、今日も忠犬に5時に起こされて暗い時間から起きている。