遅くなった夜の翌朝のエルの法則で、早くから起こされてしまったが、さすがに暗いので散歩の前にコーヒーを飲みながらネットを見ていたら、ライカが高額で落札という記事があった。
—————————————————————————————————–【11月25日 AFP=時事】オーストリア・ウィーン(Vienna)のヴェストリヒト・ギャラリー(Gallery Westlicht)で24日に行われたアンティーク・カメラのオークションで、ライフ(Life)誌のカメラマンだったデービッド・ダグラス・ダンカン(David Douglas Duncan)氏が愛用していた1955年製のライカ(Leica)社のM3Dカメラが、168万ユーロ(約1億8000万円)で落札された。(c)AFP=時事/AFPBB News」
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黒いライカM3だが、普通のものでも黒いM3は、私など手の届かないほど高価だが、このダンカン氏のカメラは特注品なので、特別の1点ものだ。いわば工芸品のように作られたもので、存在は知っていたが、今日知ったことは、たった4台しか作られなかったそうだ。
そもそも、黒いライカM3は、ブレッソンがストリートスナップをするためにシルバークロームに黒いテープを張って目立たなくしていたので、見かねたライカが黒いM3を作ったということは有名だ。
ダンカン氏はLIFEのカメラマンだから戦場の取材もするので、太陽に反射するようなカメラは使えないから黒いライカで、さらにライカビットという巻き上げを迅速に行う機構がカメラの底部に取り付けられている。これも今でも中古で流通しているが、驚くほど高価だ。高価だ高価だといって、そのあたりにある同様のカメラやアクセサリーを足し上げてもとても 1億8000万円にはならない。この価格は、4台しか作られなかったモデルということと、ダンカン氏という有名写真家が実際に使用していたという歴史的価値だ。
このダンカン氏は、カメラが好きな人ならだれでも知ってる名前だが、それはLIFEの写真家というだけでなく、ニコンのレンズを世界的に有名にした写真家として日本では有名だ。朝鮮戦争の取材のために東京に滞在していてニコンのレンズで撮られた写真を見て驚き、すぐにニコンのレンズを手に入れて実際に朝鮮戦争の取材で使い、その写真からニコンのレンズの優秀さが世界中のカメラマンに知れ渡ったという話だ。この話はニコンのレンズと日本のカメラ産業が世界的に飛躍するきっかけとして多くの人に信じられている。実際に事実らしいことは、ニコンのサイトの記事からも明らかだ。
しかし、それにしても 1億8000万円は1台のカメラとしてはすごい価格だ。これが4台セットかどうか気になったので、日本語は単数、複数を厳密に区別しないからだが、英語の記事を見てみるとやはり単数だった。つまり1台がその価格。他に3台作られているから現存していれば同じような価格になるということだ。
こういうものを買えない負け惜しみとしては、カメラは写真を撮るためのもので、あまりきれいだったり高価なものは色々な場所に持って行って使えないから、汚い実用品が、私のカメラということになる。内部機構やレンズは問題なくきれいだが、外装に問題があるというカメラが良い。なぜなら、そうでないと買えないからだ。カメラは写真を撮ってなんぼ。1億8000万円は勿論、美術館的価値からだが、東京のどこかで売られている美品のカメラは観賞用になっても実際に使われることは少ないはずだ。こんなことを書いていると、汚いカメラを探しに行きたくなってくる。
今日は曇りで夜明けの時間の6時49分を過ぎるからそろそろ散歩に出かけよう。今日は雨が降るらしい。