多依樹の展望台

by Shogo

元陽の棚田を見に行った際に、朝日と棚田を見られる場所として、多依樹村までタクシーをチャーターして行った。朝日に輝く棚田を見るために、展望台には中国や海外から来た観光客とカメラマンがあふれている。みんな高価そうなカメラを使っている。私などが見たこともない中版のデジタルカメラを使う中国人の二人が私のそばにいた。中国の人はみんなカメラが好きだ。

 地元の哈尼(ハニ)族の子供たちが民族衣装を着て朝ごはんを売りに来る。また写真のモデルにもなってくれる。写真を撮ると、お金を要求して「ヤオ チエン」(お金をください)と言う。モデルが商売なのだ。相場は1元のようだ。私も写真を撮ってお金を払いたかったが、細かいお金が2元しかなかった。

 この村の風景が外部の人間によって「発見」され、たくさんの人が押し寄せてくるようになった。ほんの10年未満の話である。今では、彼らは観光客相手に、朝ごはんや写真でお金を手に入れることができるようになった。1000年もの時間をかけて棚田を耕してきた彼らの暮らしにまったく新しい習慣が入ってきた。

 誰しも幸せになれるし、幸せにならなければならない。夢を持って実現するのが人生だ。この村に暮らす子供も同じだ。21世紀の現在では、こんな山の中の村にもテレビもインターネットもあるだろう。彼らに1000年前と同じ暮らしをして、棚田を耕し続けろとは誰もいえないだろう。

 手元にないが先日読んだ本によれば、現在の中国の農業人口は総人口に対して約50%だそうだ。これは、日本の大正末期から昭和に初めと同じくくらいの数字と記憶している。現在、先富論によって経済発展の著しい都市部と農村部の格差が問題になっている。農村の経済発展が、中国政府にとっても最大の課題だ。今後は、沿岸部だけではなく、内陸部の経済発展と生活の向上が政府の政策として実行され、大都市、中規模都市の労働者が増加し、農業人口は減少していくのだろう。日本で起こったのと同じことはやがて中国でも繰り返されるはずだ。

 だから、いずれ経済発展と産業構造の変化の波はこの農村にも押し寄せ、ここの生活も変えてしまうのだろう。その時、1000年に亘って手だけで作られ耕されてきた棚田はどうなるのだろう。私のようなお気楽者が写真を撮りに来るためだけに、棚田を守ってくれとは言えない。この村の子供たちも村を出て、昆明やあるいは上海、北京に働きにでていくのだろうか。

 経済発展と言われることやそれに伴うライフスタイルの変化は、新しいものを生み出し、それまであった様々なものを消し去っていく。仕方のないことなのだろう。村の子供たちがみんな村を捨てた時、この美しい棚田はたった一年ほどで姿を消してしまうだろう。いつまでもあって欲しいとおもうのはこの村の暮らしを知らない私の勝手な願いだろう。

 そんなことを考えながら、子供たちと高価なカメラと棚田を見ていた。

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