デジタル庁ができたり、デジタルとか、デジタル・トランスフォーメーションとか、大騒ぎしていてうるさくて仕方ない。デジタルは特別なものでなく、すべてがデジタルに既になっている。できていないのは、その技術を使いこなせない組織があるからだ。昔からのやり方を変えるつもりのない組織の破綻があちこちに見える。
デジタルがもたらした新しい習慣はたくさんあるし、生活やビジネスのありかたを変えた。デジタルでなければ、身の回りの機器がWifiに繋がった便利な生活はない。
だからと言って私たちの生活が完全に変わった訳ではない。大騒ぎする人が言うように、デジタルがすべてを変えたのなら、地上波テレビの視聴率はもっと下がらなければいけないし、交通機関の利用ももっと低下しなければいけない。そうならないのは、私たちが人間だからだ。検索したりしたくない時もあるし、人と会ってただしゃべっていたい時もあるからだ。デジタルだから何かするわけではなくて何かしたいからデジタル技術を利用するのだ。
人間のやりたいことは基本的には変わらず、それがデジタルで便利になったり別のやり方ができただけで、デジタルが人間をすぐに変えたりはしない。
デジタル技術が、機器の制御や様々な分野で生活を変え始めているが、一番大きいのは、(デジタル)ネットワークだ。もちろんデジタル技術がすべてにかかるが、変化が大きいのは通信の7つの層の最下層の土管だったり、ムーアの法則のCPUだったり、記憶装置だったりするのでデジタル、デジタルというよりは、ネットワークというべきだろう。これには制度も関係する。昔はコンピュータに公衆回線を直接つなぐことは禁止されていた。それが、解放されて、さらに無線網が構築されて、世の中を変えたのだ。
変えた大きな点は、双方向性という特長のために個人や企業が1対1でネットワークを通じて結びつき、情報のやり取りをし、さらには決済まで可能になったこと。インターネットはメディアではなくて、すべての生活やビジネス、行政の基盤になったということだ。 この点が世の中やビジネスのやり方や多分、最終的には生活や人間まで変えてしまう可能性はある。直接民主主義が可能になるから政治も変わるかもしれない。
デジタルになっていろいろなことが変わるのは事実だが、基本的なことは変わらないと思う。 事実、デジタルと大騒ぎしても、世の中を変えると言われた様々なアプリケーションは生まれて消える。今はもう誰もセカンドライフを覚えていないし、フェイスブックやLINEに代わるものが登場する日も近い。
だから、デジタル、デジタルと大騒ぎしないで、自分のやりたいことをデジタルとかアナログとか考えないでやっていくだけだが、どうしてもアナログに心ひかれる。アナログのレコードしかかけない店に時々行くが、多分気のせいだが音に艶があるような気がする。こういうものは気がすることが大事だ。