写真の撮り方

by Shogo

会合の最後に集合写真を撮ろうということになったが、誰もカメラを持っていなかった。私はというとフィルムカメラで、かつ90mmのレンズがついていたので出番はない。90mmのレンズはTele-elmarit f2.8 とElmar triplet f4の2本あるのだが、90mmはほとんど使うことがないので、たまには使わないとカビるということで珍しく使っていたのだ。

するとたくさんの携帯が出てきて何枚も携帯で写真を撮った。その意味でカメラを持っていない人などいないのだ。そういう時代にあってはカメラを持つということの言葉の意味が変ろうとしている。

カメラを持つということは多少なりとも技巧をこらした写真が撮れるものということになろうとしているのかもしれない。単に写真が撮れるのは今までのコンデジの世界だが、その写真は携帯の写真で十分で、かつネットで共有も簡単に即時にできてしまう。それからメモをとるかわりに携帯で写真を撮っておくことが多くなった。メモはすぐに見つからないが携帯の写真はいつでも身近にある。メモ代わりの写真が携帯に入っているのはかえって便利だ。しかも自動的にクラウドに保存されるので無くなる心配もない。

そんな時代を反映してコンデジの市場は縮小中だ。昨年の市場規模では金額ベースで、DSLR 43.9%、ミラーレス  19.4%、高級コンパクト 5.4%、その他コンパクト 18.8%となり、コンデジにあたるその他コンパクトは半減している。ただし、この数字は金額ベースなので台数でははるかに大きなシェアとなるので、小さいとは言えないが半減したのは事実だ。

ただし、高級コンパクトは参入が相次いでいる市場で、最近ではSony RX1,  富士フィルムのX100,古くはSigma DP1などがある。フィルムの時代には、Contax T2とかミノルタ TC-1とかもあり、一つのジャンルとなっていた。フィルムの時代には、一眼もコンパクトカメラも同じフィルムを使い、画質が違うとかはなかった。なのでデジタルのコンデジというのはデジタル技術の狭間に生まれた過渡期の産物だった。映像素子がもっと安く、関連の部品が安く小さくつくれれば生まれることはなかった。それが一つの市場になったが、その軽快さゆえに、その機能、部品は携帯に吸収されてしまうこということのようだ。

なので簡便に写真を撮るということは携帯の役割になってカメラを持つということは、何か特別の写真を撮るということに変わっていくのかもしれない。

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