「らしさ」について

by Shogo

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SONYが新しいカメラを発表した。DSC-QX100はスマホと連携するレンズだ。レンズと言ってもメモリーやバッテリも内蔵されていてカメラになる。無いのはディスプレイだけのカメラと言ってよいだろう。Wifi機能が内蔵されており、これでスマホにつながってそのディスプレイを使ったり、画像を転送して、そこからSNSに上げることができる。

こんなカメラを考えたこともなかったが、久しぶりに欲しいカメラだ。亡くなったスティーブ・ジョブスは市場調査を信じないと言って調査をしなかった聞く。これはジョブスによれば「人は欲しいものを知らないからだ」という。確かに普通の人では改良版について想像できても、新に革新的な商品を想像することは難しい。

 今回のDSC-QX100は、見て初めてこういうものが欲しかったと思わせることがある。最近のSONYに欠けていたのはそういう驚きだ。初めてSONYを買ったのはPressManという小型のテープレコーダーだった。黒くてエッジが立ったデザインはほれぼれする美しさだった。それから、録音機能を省いたのがウォークマンだ。録音できないテーププレイヤーの登場に驚きいたが、それもすぐに買った。その時代、SONYの製品は高かったけれどそういう驚きとデザインの美しさで際立っていた。例えばProfeelというチューナーのついていないテレビ(つまり今でいえばディスプレイ)は、その美しさで憧れだったが高価で手が出なかった。ジョブスもAppleでSONYのようなデザインの商品を志向したと聞く。

最近の SONYは、そういうSONYらしさが無くて、平凡な商品ばかりだと考えていた。かつて大宅壮一はSONYはモルモットだと評した。実験的な商品を出して失敗することがあれば、また成功しても他社にまねをされて敗退したからだ。でも、SONYの起業の精神は、どこにもない商品を創るだったと記憶している。そういう先進的な商品が影を潜め、ついには「らしさ」まで失っていたと思う。でもDSC-QX100のような商品がいくつか出れば、また「らしさ」は戻ってくるだろう。「らしさ」は所詮はイメージなので実態がいくつかあればすぐにもどるものだ。SONYには「らしさ」を取り戻して、また日本「らしさ」も取り戻してもらいたいと思う。それでいけば日本らしさとは今は何だろう。安全神話は放射能汚染水で崩れたし、経済大国はもうそんな感じはしない。日本人らしいとは何か考えてみるべき時に来ている感じがする。

DSC-QX100の発売はまだ不明だが、出たら検討したいと思っている。

写真は、ロンドンのメイフェア。

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