Life is fragile.

by Shogo

一夜明けた朝は青空でテレビをつけていなければ平和な朝だが、テレビの映像はまさに地獄だ。オバマ大統領はスピーチの冒頭で、私たちの生活がいかにもろいものか語ったが、本当にそう思う。毎日普通に生きてきて、それが一瞬ですべてきれいに消え去ってしまう。なんということなのだろう。

そして原子力発電所の事故だ。もし放射能が大量に漏れる事故が起これば福島県のあの地域が何世紀にわたって死の地域になるのはもちろん日本全体でがんや白血病の健康障害が数十年にわたって日本人を苦しめることになる。まだ予断を許さないが原子炉の暴走などのチェリノブイリのような最悪の事態は避けられているようだ。現時点の政府や東京電力の発表に裏がないことを祈りたい。ともかく被害が最小に済むように今は祈るだけしかない。

だたし、この危機を乗り切った後で、問い直さなければいけないのは、原子力発電の是非の問題。私たちは原子力発電所を必要とするのか。問題は2つある。最初は原子力発電所が必要なほど電力を使って良いのかどうかということ。2つめはある程度の電力が必要として、それは原子力発電でまかなわなければいけないかということ。

私たちは、必要以上暖めたり冷やしたり、快適な環境をどこまで望むのか考えるべきだろう。難しい問題だが、我慢しても電力を大量に使わないと決めることは私たちの意志とそれを制度化できるかにかかってくる。次の問題は巨大な工場で高電圧の電力を作り、高いコストの送電システムで送る必要があるのかどうか。もっと自然に近い低電圧の発電工場をいくつか各地に造って地域の電力需要をその場所で満たす方法を考えることも考えなければいけないのかも知れない。数十年前に読んだエイモリー・ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」に書かれて方法だが、この国の為政者や電力会社には検討もされてはいない。

電力会社は原子力発電は安全だと主張してきたが、その主張にどんな根拠があったのか。想定するマグニチュードは8.5までで、今回は8.8だから対応できなかったと主張するのだろうか。私などナイーブだから安全マージンを倍くらい取っていて、マグニチュードが16くらいで対応できる安全性が確保されているものと思ってきた。

ともかく、この危機を乗り切って、その後で国民全体の議論が必要だ。

昨夜は家内が帰宅したのは3時をはるかに過ぎていて、信濃町から5時間半かかったそうだ。私と娘が九段下から実質的に歩いたのは2時間半なので歩く時間の倍の時間がかかったということだ。この教訓は災害時には車を利用してはいけないということだ。ともかく歩くか、徒歩での安全性が確保できないときはどこかに安全な場所を探すということか。

数時間しか眠れなかったが、テレビの映像の悲惨さと原子力発電所の事故の恐怖のために昼寝も出来ず、テレビの前で呆けたように画面を見つめていた。

朝の散歩に少し歩いたが、悲惨な東北が嘘のような青空に、隣家のモクレンの咲き始めた白さが眩しかった。

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