天寧寺 #4

by elmarit

鳥インフルエンザ関連のニュースがまたあった。昨日の発表によれば、17日に山東省で27歳の女性が鳥インフルエンザで死亡したそうだ。だんだん悪夢が現実になる予感が。春節明けが結構怖い。

天寧寺の最後。塔の台座は塔と同じ8角形の2層からできており、その下には正方形の台がある。この一番下の台までは上ることができる。

塔には3400個の鐘がぶら下がっていたそうだが、今でも当時のままかどうか分からないが鐘がぶら下がっている。風が吹いた時は3400個の鐘はどんな音色だったのだろうか。塔の立派さに比べると寺は地味なもので、そのために拝観料をとっていないのかもしれない。

寺を出て門前市に戻る。静かでほとんど人のいない寺から現実の世界に戻ったようだ。露天の店だけではなく寺の周辺の商店も賑やかだ。

タクシーを捜して歩いていると、 鑑賞魚を売っている感じの人たちがいる店というより個人が自分の育てた魚を売っているような雰囲気だ。

売っている人もたくさんいるし、客のようなひともたくさん集まって話をしている。何を話しているか分からないが、同好の士が集まっているのだろう。この日も見かけて写真を撮り漏らしたが、北京では冬になるとリヤカーの金魚売りを見かける。夏にどうしていないのかと考えたが、夏だと暑すぎて金魚が死んでしまうのだろう。

天寧寺は天安門から南西方向。唐や遼の時代には北京は明や清の時代より南西にあった。そのため古い遺跡などは北京の南西の地区に集中している。北京が今のやや東に寄って建設されたのは元の都「大都」と呼ばれる都市が建設されてからだ。それを明が少し南にずらした。清の時代までは古い中国の都市がすべてそうであるように城郭に囲まれた都市だったので、都市の境界が明確だった。

この項やっと終わり

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