鶏鳴駅村の400年前の郵便局の続き。
お昼時で近所の老人が食事の支度をしているのを見かけた。
軒先の瓦の模様が、猫の顔に見えてしまうのだが、これは何?
明の時代に作られた郵便局というプレートが家の前に埋め込まれている。
郵便局を後にして、またメインストリートに戻る。
村で唯一の商店の前にひまわりが咲いている。
商店の隣はこの村の有力者の家で、豪華な四合院になっていた。多くの四合院と同じように門を入ると突き当たりになっていて、正面に見えるのは彫刻を施した壁だ。これは、プライバシーを守るためと、悪い気が家に入らないようにするためだそうだ。
門柱は立派な彫刻になっていて、縁起の良い人や動物の図柄になっているそうだ。
この家は四合院が2つくっついた形で、ここは手前の四合院の庭。棗(なつめ)の木が植えられている。中国では生のままでも食べたりするので、庭に棗のある家は北京でも見かける。
この家のテレビ。「上海」というメーカーの製品だ。
冬にベッドを暖めるためにベッドの下に、薪などを燃やす口が作られ、ベッドの下を通って外に排気されている。ベッドとしては硬そうだ。
1900年の義和団事件をきっかけとした日本を含む八カ国連合軍の攻撃を受けて、北京陥落前に、西太后は貧しい農民の衣装で北京を逃れたたが、その際に一夜を過ごしたのがこの部屋だそうだ。贅沢の限りを尽くした西太后が逃避行とは言え、この部屋でどんな思いでいたのだろう。
こちらの部屋に皇帝が泊まったそうだ。
西太后が宿泊した家。
西太后が泊まったのは、この村の有力者の家の奥の四合院で、細い路地を通ってしかそちらには行けない。四合院の入り口には、後に西太后が謝礼と共に贈った文字が残されている。この文字も文革中は、土で塗りこめられていたそうだ。
この項、あと一回。