日本の昔ながらの喫茶店

by Shogo

友人に会うために広尾まで。昔ながらの喫茶店でしばらく近況報告。昔はどの街角にもあった喫茶店だ。

付き合いは長いが年に1度とか、会わない年もあったかもしれない。会って話し始めると、昔のことが次から次へと蘇る。きっと楽しい時代だったのだろう。自分も若かったし、時代も単純だった。

共通の友人の近況に話がおよんで、元気にしているようでうれしい。でも、本当は彼の新作が読みたいな。きっと近いうちに読めると信じているよ。

こういう喫茶店はもうあまりなく、画一的なスタバ、エクセシオール、ドトールやタリーズなどに駆逐されてしまった。昔の喫茶店は、オーナーの趣味や性格が色濃く反映したもので、同じ店はひとつもなかった。この前、写真を撮ったマサコみたいにジャズ喫茶とか映画がテーマだとか、いろいろなお店があった。

そういう店のコーヒーの値段がすごく高いかというとそうでもなく、でもなくなってしまうのは、個性的なオーナーと会話するのが煩わしいとかの理由もあるのだろう。結局、今の私たちは非人間的なマニュアル対応が心地よいのかもしれない。注文してお金を払う、コーヒーを受け取って席に行く。そこには人間的な対応はない。あるのはマニュアル化されたトークだ。もう私たちは人に会って話すことにも疲れたというのだろうか。

もちろん、スタバやタリーズについては、ブランド消費の側面もあるし、エクセシオールやドトールについては価格競争力の問題もあるだろうが、マニュアルの対応がかえって安心という現在の砂粒化されていく私たちの心象をそこに見てしまう。

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