モノクロ写真の粒状感

by Shogo

日曜日の午前中は出かけていたので、夕方に長い散歩をして新しいフィルムを使おうかと考えていたら、すごい夕立になって散歩は諦めた。昔から夕立があったが、ゲリラ豪雨というものは無かった。言葉だけが新しいのか、同じような現象は前からあったのか。

土曜日に新宿から中野を廻ってギャラリーに行ったのだが、冬青社ギャラリーの小栗昌子さんの「フサバンバの山」の写真が中でもすごく気に入った。写真に登場するフサバンバの存在感もかなりのもので、山の暮らしが印象的に捉えられている。長い時間をかけて、同じ家に住み込んで撮ったのだろう。写真がすごく良いのだが、同じほど惹かれたのは美しい粒状感のある写真のマチエール。

絵画でも古典的な作品のツルッとした質感ではなく、絵筆のタッチが明確な作品が好きだが、 小栗昌子さんのプリントには写真らしい美しい粒が見える。中藤毅彦さんの作品も粒が目立つので有名だが、中藤さんの場合には1600という高感度フィルムを使って高温度で現像して、あの荒れた感じの粒状感を出していると聞いているが、その粗さとは違う粒状感なのだ。もっと細かいが質感のある写真の粒が見える。

写真はフィルムに含まれているハロゲン化銀が光に当たって反応して、それを現像してフィルムの上に銀の粒ができる。同じように、それを引き伸し機で光を当てると、フィルムの上の黒い部分、つまり銀の粒が光を遮り、フィルムの上の透明な部分が光を通して、それが印画紙の上のハロゲン化銀に反応を起こす。それを現像して印画紙の上に塩化銀を作る。引き伸ばす際に、ピントルーペで光を見ると非常に細かな銀の粒が見える。

写真の歴史は、この粒を細かくして粒状感の無い写真を作ることに力が注がれてきた。フィルムで、それはかなりの程度できていたが、でも、デジタル写真であっさりと実現してしまった。 粒もない美しい、古典的絵画のようなマチエールだ。

逆に言うと、それは写真と言うより、コンピュータ上の塗り絵にも見える。私の場合には、デジタルは色を変えたり何でもできるから飽きてしまったということもあるが、やはり写真らしい粒状感が無いからいやになったということもある。

そんなことで、モノクロ写真を見る時は、その質感を見るのが楽しみなのだが、 小栗昌子さんの「フサバンバの山」は写真の内容はもちろんだが、美しい写真の質感を楽しめる写真展だ。

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