中秋節の休みを利用して寧夏回族自治区と内蒙古自治区に旅行した。と言っても行ったのは寧夏回族自治区の銀川市周辺と内蒙古自治区の騰格里砂漠の一部だけだ。
北京から飛行機で1時間半、銀川河東空港に降りる。空港のそばに河が流れており、その色はミルクチョコレートの色だった。これが黄河だった。旅行はそのまま、郊外の明の時代の万里の長城や地下要塞、河蘭山の遺跡などを見学して銀川市の中心のホテルに宿泊した。上の写真は内蒙古自治区との境、銀川市の西にある河蘭山。
見物した遺跡などは次回以降のエントリーとして、今回は銀川市の夜の様子。昼間はバスで通過しただけなので写真が無いが、人口133万人の町にしては近代的なビルやコンベンション・センターが並び、メインストリートは片側5車線という広大な道路の近代都市だ。井上靖の「敦煌」に登場する西夏の都、興慶をイメージして行った私は拍子抜け。まったくその面影はない。
銀川市のホテルのそば。写真を撮ったのは13日なので満月の2日前。周辺は北京にもあるようなショッピング・センターやデパートもあり、活気があった。
街の中心部で食事をした後、ホテルまで歩いて帰りがてら写真を撮った。銀川市は、デパートは夜10時まで開いており、一般の商店は真夜中まで営業している。旅行のガイドさんは地元の英語が上手な方だが、その彼女の話によれば、非常に安全で観光客が夜中に一人で歩いていても何の問題もないということだったが、念のために大通りだけを通ってホテルまで帰った。
回族はイスラム教徒の少数民族で寧夏はイスラム文化圏。豚肉は食べられない。
夕食に行ったレストランは清真料理(イスラム)で、豚肉が無い以外は中華と変わりなかった。特に羊の肉をたくさん食べると言うことで、臭みの無い羊肉の塊の塩茹でした料理はシンプルな味付けで薄味好みとしては非常にいけた。
写真は街の中心の公園の前の鐘楼。レストランのすぐそばだった。
写真は鼓楼。上の鐘楼のすぐそばにある。
寧夏回族自治区の回族は、唐やそれよりも前の千数百年前にトルコやアラビアから渡ってきた人で、この間に漢族との混血が進んだのか、見掛けはまったく漢族
と変わらなく、ただイスラム教徒というだけのことだそうだ。それも非常に敬虔な戒律の厳しいイスラム教徒でもないらしい。寧夏回族自治区でイスラム教徒の
少数民族の人口に占める割合はたった三分の一ということで、中国化つまり漢民族化がかなり進んでいるようだ。
モスクもたくさん見かけたが、街の中心に、北京と同じように鼓楼や鐘楼が造られているのも見かけた。西夏王朝の時代からあるのだろうかと一瞬考えた。でも西夏王朝が元よって滅亡した際に徹底的な破壊を受けたので、その時代の物は何も残っていないはずだ。北京が遼の首都として元に占領された時も、初めは、元は北京を徹底的に破壊して牧草地にしようと計画したという話があると聞いているので、西夏の都、興慶もすべて灰燼に帰したのだろう。
街中は、夜の9時で商店も開いているし人通りも多くにぎやかだった。
まだまだたくさんの人が食事中。一般的に中国は夕食の時間が早いと思うが、9時でもまだ真っ最中。北京などでは10時閉店ということが多いがここは違うのかもしれない。
少し町外れにりんごと梨を売っている女性がいた。値段を聞くと小さめなりんごで500g1元だった。
この街でも北京のように工事現場が多く、こんな夜でも工事現場で働く人をたくさん見かけた。
賑やかなデパート周辺。街の中心は北京とそうは変わらない。
翌朝、ホテルの窓から。ホテルはインターネットアクセスもあり、英語放送も受信できる近代的なホテルだった。