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鶏鳴駅村の最後。
村に2軒あるレストランで昼食を済ませ、メインストリートを 西に進む。昼食は、この地方の家庭料理ということで、鳥や豚肉を野菜と一緒に煮込んだものや、各種野菜などが出た。中でも全粒粉の小麦粉で作った茶色い餃子、中には卵とニラが入っていた、は結構おいしかった。ビールは河北省のビールで北京にはない、美国藍帯というブランドだった。
メインストリートにも壊れた家が放置されている。メインストリートから裏通りの方に進む。
古い家の軒先には風水で牛の頭や馬の頭の飾りがつけられているそうだ。
明の時代の旅館。すぐそばに、馬の交換をする施設も残されている。
水のために建てられた寺院。壁の飾りは蓮の花で、屋根には龍の像が残されている。
この村の主な農産物はとうもろこしのようだ。村の外も一面のとうもろこし畑だった。
門だけ残された家。
学校に入ると、正面には孔子の像が安置された本殿があり、教室はそれを取り囲む。
理由は分からないが壊れた石碑。これも文革の仕業か。
学校の中庭、正面が孔子病。「晴耕雨読」という額がかかっている。
寺院。仏教や様々な宗教が混じっているそうだ。
中の壁画や仏像は撮影禁止。日本の仏教とは違うように見える。仏像は子供を抱いており、子宝に恵まれない夫婦がよく来るそうだ。
メインストリートに戻って、西門へ。
西門は修復途中で上には上れない。西側の壁も破損の状況はひどく、修復まで時間がかかりそうだ。壁は風化が進んだ以外に村人が建築資材として使ったり、石炭と混ぜて暖房にしかってしまったそうだ。
北京へ戻る途中は何箇所にも検問があり、車のトランクをすべて開けたり、身分証明書をチェックしたりものものしい警戒で、オリンピックをまじかに控えた緊張感があった。