北京の喜多方ラーメン

by Shogo

東方新天地にこの秋にできた「喜多方ラーメン 蔵」。面の固さなどにややばらつきがあるのだが、許せる範囲だ。ここ何度か出かけて、喜多方ラーメン、豚骨ラーメン、塩ラーメンを食べたが、どれも日本の水準で問題ない。お客もかなり入っていて繁盛している。お客は勿論、中国人の人が中心だ。同じ東方新天地には、中国のラーメンチェーンの「味千拉麺」も出店していてこちらはお昼時は列ができている。「味千拉麺」の強さはその価格、多分「喜多方ラーメン 蔵」の半分くらいだろう。入ったことがないので知らないが。

「喜多方ラーメン 蔵」は喜多方ラーメン、豚骨ラーメンなどは、19元(15円換算で285円)、写真の塩野菜ラーメン 25元(同じく375円)と一般的なランチの価格よりも高め。その分美味しいので(多分)、高いお金を払っても良い人はこちらに来る。

前にも書いたが、日本に行った中国人が言うのは日本で食べたラーメンが美味しかったということ。これはほぼ全員。決してすき焼き、寿司、天麩羅ではない。中華の痕跡がある料理で美味しく改良されている辺りがポイントかもしれない。

日本人は和洋中の雑食性動物だが、多くの中国人はかなり若くても、中華一辺倒のひとが多い。私の同僚などもカナダに2年も住んでいた癖に、所謂洋食風のものは食べられない。カナダは中国人も多いからカナダで中華ばかり食べていたのだろう。

日本でも明治の時代には日本食以外食べられないという人がいたのだろうか?あるいは、日本人はカレーやラーメンのように元々は外国の料理を日本料理に変えてしまったから、何でも食べるようになったのだろうか。

日本文化

日本語の良さあるいはいい加減さは、外来語や造語を簡単に文脈に取り込める包容性にある。日本語の柔軟さが新しい概念を積極的にに取り入れ利用することを可能にしてきた。だからこそ日本はアジアの国の中で最初に経済発展をすることが可能になった。勿論、言語の問題だけではなく、日本人の教育制度や勤勉さがその多くを支えたことは間違いないが、新しい考え方を取り入れ、利用することは言語の面からも促進されてきたはずだ。

同じように一般的な日本料理は中華であっても西洋食であっても簡単に取り込んで、無理やり日本料理に融合させてきた。例えばステーキに醤油だ。強引さ、節操のなさあるいは柔軟さが、食から言語までそして文化全体で、今の日本文化を作り上げてきたのだろう。

結果的に、中国人も美味しいと言うラーメンを作り、世界中で売れる車やデジカメやゲーム機を作り、世界中で見られるアニメを作った訳だ。では、雑食性で多様な文化を取り込んだ我々日本人は、何者だろうか。今後どうすべきなのだろうか。日本の伝統と固有の文化、ネットやメディアの発展により今まで以上に日本に流れ込む多様な新しい概念・トレンド、この折り合いは今後どの様につけていけば良いのだろうか。新しい文化・概念を取り入れた明治の時代には、「坂の上の雲」のようにその目指すべきモデルはあったわけだが、今の日本には目指すべきモデルはない。日本人が自ら作り出さなければならない。

ラーメンから脱線し続けて結論が出ない話になってしまった。会社に行く時間なのでこのことは、これから考えてみたいと思う。


You may also like

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

error: Content is protected !!