いくつか学生に語る言葉がある。それは、父から言われ続けたことだ。最初は、「諦めない。雑草のように強くなる」、2番目は、「常に最悪を想定せよ」、そして、3番目は、「誇りを忘れるな」。この3番目は、分かりづらいが、自分にも天にも恥ずかしくない行いを心掛けろという意味だと理解している。
なかでも、よく言われたのは、1番目だ。誰でも、人生において様々な困難に遭遇する。病気や人間関係のトラブルは普通だ。実際に、今思い起こしても3度ほど、そのような時期があった。その時は、「雑草のように」と思っていたが、そうは言っても「雑草のように」とは行かず、打ちひしがれていたものだ。
父は亡くなるずいぶん前から、「雑草のように」のような教訓めいた話はしなくなっていた。20代は口を利かなかったから、子供の時の話だ。そのような話をしたのは、大学生時代よりずっと前ということになる。中学生くらいまでのことだったっろうか。
「雑草のように」とはいつも、そのようにいかないが、それでも忘れなでいた。それが、いつの頃か思い出せないが、「But if not」という言葉を知った。それは、ダンケルクの戦いについて書かれた本の中に出てきた。それが、何だったのかは、もう分からない。クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」より、はるか昔のことだ。その「But if not」は、自分の中で「雑草のように」に繋がった。
「But if not」は、第二次世界大戦の時の話だ。
第二次世界大戦初期の1940年、フランスのダンケルク。ナチス・ドイツに追い詰められたイギリス軍は、撤退を余儀なくされていた。海岸線には40万の兵士が取り残され、もう逃げ道は無い。開戦後に電撃的な速さでヨーロッパを攻め落としているナチスに立ち向かう兵力は、フランスなども含めて、もう無かった。この時イギリス軍は絶体絶命の危機に瀕していた。この兵士が全滅すれば、イギリスは戦争遂行能力を失う。
クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」は、この時に、チャーチル首相が指揮した、イギリス軍救出のダイナモ作戦を描いたものだ。書きたいのは、この話ではなく、その直前だ。
ダンケルクに追い詰められ、逃げ場を失った時に、イギリス軍司令官が本国に送った電報には、ただ「But if not」としか書かれていなかったという。これの意味は、日本人には分からないが、キリスト教徒やユダヤ教徒には分かるという話だ。
「But if not」は旧約聖書のダニエル書3章18節からの引用で、「たとえそうでなくても」という意味だそうだ。異教徒の金の偶像を拝まないと、火刑に処される危機に瀕した3人のキリスト教徒の若者が、神が自分たちを救わなくても偶像崇拝はしないと宣言した言葉だ。つまり、神は救ってくれるのだろうが、「たとえ救ってくれなくても」偶像は拝まないという決意の言葉だった。
ダンケルクの電報は、たとえ奇跡が起こらなくても、最後まで戦い抜くという強い決意を示していた。このメッセージを受け取ったイギリス国民は、聖書のエピソードを思い起こし、状況の深刻さを理解した。そして、軍事用船舶では足りず、釣り船や遊覧船までの民間船舶を含めたあらゆる船を動員し、兵士たちを救出する「ダイナモ作戦」を決行した。映画は、この話だ。映画を見たが、この「But if not」は出てこなかった。
「But if not」は、雑草のように生きようとしても難しい世の中で、「たとえそうでなくても」決して希望を捨てず、最後まで戦い抜くことの大切さを教えてくれる言葉となっている。これを、もはや父に語ることはできないのだが、何度かの辛い時期を、「雑草のように」と「But if not」で乗り切った気がする。