最近のアメリカは何でもありで、驚かないのだが、MLBが、ピート・ローズの殿堂入りの資格を回復する決定をしたことには驚いた。
1989年に野球賭博への関与が発覚し、永久追放処分を受けた。これが、アメリカの大学に留学した年だったから、いまでも鮮明に覚えている。彼は昨年亡くなったが、処分は、終身ではなく永久だった。
記事を読んで、更に驚いたのは、この決定の背後には、トランプ大統領の強い介入があったとされていることだ。トランプ大統領はソーシャルメディアや公的な場で繰り返しローズへの恩赦を表明し、「彼は十分に罰を受けた。殿堂入りに値する」と主張してきたそうだ。実際に、トランプ大統領はマンフレッド・コミッショナーとホワイトハウスで面会し、ローズの資格回復について議論したようだ。このような大統領の圧力が、MLB側の方針転換に大きな影響を与えたとニューヨーク・タイムズは報じている。
ここで大きな問題となるのが、「大統領によるスポーツ界への直接的な介入」が倫理的に許されるのか、という点だ。MLBの永久追放処分は、野球というスポーツの公正性と信頼性を守るための厳格なルールに基づくものだ。ローズの復権は、彼の家族や一部ファンにとっては悲願だろう。しかし、その決定が大統領という絶大な権力者の意向によって左右されるのであれば、スポーツ界の自律性やルールの公平性が損なわれかねない。
アメリカ大統領は王ではなく、すべてを思い通りにできる存在ではないはずだ。特定の個人や団体の利益のために介入することは、民主主義社会における権力分立や社会的規範に反する行為だ。特に、賭博や脱税といった倫理的問題を抱えた人物の復権を、大統領自らが推進することは、社会全体に「ルールは権力者の思惑で変えられる」という誤ったメッセージを与えかねない。と言っても、あの大統領なら驚かないのも事実だが。
大谷翔平の通訳の賭博の事件でも明らかになったように、プロスポーツとギャンブル業界の結びつきが強まる中、スポーツ界の高潔さを守るためのルールの厳格な運用がますます重要になっている。今回の決定が前例となれば、今後も政治的圧力によるルール変更が起こる可能性が否定できない。今回のローズの復権は、スポーツ界と政治の関係、そして社会の倫理観に大きな問いを投げかけている。
もっと簡単に言えば、大統領といえども、すべてを可能にする「王」ではなく、民主主義社会のルールの中で行動すべきだ。今回の件は、改めて権力のあり方を問い直す契機となることを願う。
ピート・ローズは、MLB歴代最多の4256安打という偉業を成し遂げた英雄であることは間違いない。そこだけとれば、野球殿堂入は認められるべきだが、賭博の問題は、MLBが定めたルールであり、永久追放であったはずだ。
イチローの引退の際にも、ピート・ローズの4256安打は、随分話題になった。イチローの「4367安打」は、日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグ(MLB)の通算だ。MLBでは3089安打だ。ここで、ピート・ローズの方が優れたバッターだったという論調をよく覚えている。アメリカの一部のファンの気分を反映したものだったのだろう。
どちらも優れていて、偉大な記録を残したことは間違いない。それは別の議論だが、ともかく政治がスポーツに介入するような事態は、アメリカが、かつてのような国でなくなったという一つの例だろう。