「米田知子写真展」は見なくても良いかなと思っていたが、友の会の会員の更新手続きもあったので、都写美まで出かけた。更新してたら来年の9月の写真展の終了時までで,その後は長期休館に入るので有効期間もそれまでという説明があった。休館期間はと聞いたのだが、担当者も年単位の休館ということ以上は分からないという回答で、1年なのか4、5年なのかまったく分からなかった。
米田知子写真展は見なくても良いかなと思っていたが、結論からすると逆説的に見て良かった。会場はいつもと違って左回りで何か変な感じがするが、それも日常からの感覚を狂わせる目的があるのかもしれないし、単に逆時計回りにしたかっただけかもしれない。
入っていくと風景の写真が並んでいる。最後に説明を読むと、それが北朝鮮と韓国の国境だったり、満州事変の始まった場所だったり、特攻隊が飛び立った基地の野球場だと分かる。これは、どういうことを意味しているか考えると、歴史や事件に焦点を当てた写真で、情報として写真の外側にあるものと一体になって作品として成立するということなのだろうと想像する。当たり前の風景なので被写体に寄りかかった写真ではないが、写真の中に写っていない説明を読まないと作品とならない種類の写真だ。つまり歴史といテーマやコンセプトがありそれに関係した場所に行って写真を撮ったという作品だ。
最後の「積雲」というシリーズは、震災後の福島、天皇家、広島、靖国神社という写真が並び、分かりやすいあざとさというか安易というかという展開で素人の目にも笑ってしまうようだ。一点一点の写真は良いのだが、こういう安易な写真の並びは浅いように思えてしまうが、素人には浅いが、アーティストには別の意味があるのだろうか。
個人的には、台湾で撮った、政治家の家の内部の写真のシリーズ(Japanese House)と韓国にある日本の併合時代の病院を韓国の秘密警察として使っていた建物の内部の写真(Kimusa)が、写真として面白い。勿論、写真の外側にあるそういう情報を知ることでさらに興味深い。
「米田知子写真展」をみることで、写真の作品としてのありかたが良く分かった気がした。そういう意味で行って良かった写真展だった。個人的には自宅から自転車か徒歩で行ける所でしか写真を撮っていないので、自分の写真とは違う、旅行写真とかファッション写真とかルポルタージュとも違う種類の写真を見ることができた。自分は意味のない場所を撮り方とか光の様子で違う世界が見えるということを写真にしようとしているので、米田知子さんのような写真を将来考えても良いかなとも思った。そういうコンセプトが見つかればということだが。