Kodachromeと2011年のこと

by Shogo

今日は2011年の最後の日。多くの人にとって忘れられない年になった。もちろん悪い意味でだ。歴史上には戦争や天災が何度も記録されているが、今年のこの災害は多分、私が経験する最大の事件だと思うし、またそうあってほしい。

さらに、今年は歴史的にも悪名の高い人物が死んだ年だ。20世紀から続いた歴史的な出来事が、その死でひとまず終わった。そしてまた別の形で始まったという言い方もできる。20世紀の問題が今まで生きながらえ個人とともに死んだ。いくら高潔で尊敬すべき人であっても残念なことに人の命には終りが来るし、憎むべき犯罪者であっても永遠に生きることはなく、その個人の悪事は終わる。

ただし、終わらないのは、その個人が残した考えや功績だし、個人や国が行った悪事の結果の影響は長い長い時間を経てやっとその効果が消える。世界各地の問題の原因のいくつかは、他国の政府や軍隊が行った悪事が原因でもある。

大掃除で見つけたKodachromeは歴史に残るほど有名なフィルムだ。ポール・サイモンの歌でも有名だが、でも個人的には、そう数を使ったことはない。露出がシビアで難しいということもあるが、むしろ価格的に使えなかった。現像も高いし、プリントするとびっくりするような料金だった。でも、それを使うことにはあこがれもあった。1934年に発売されて、カラーリバーサルフィルムの代名詞だった。その独特のコクのある色味が多くの人に愛された。

そのコダクロームの最後が現像されたのは2011年に入ってからのようだ。日本国内では2006年に販売が停止され、アメリカでも2009年6月で製造が終わった。使用期限を過ぎて、最後まで現像をしていたカンサス州のDwayne’s Photoは2010年12月30日受け付け分で現像を停止すると発表していたが、最後に世界中から大量のコダクロームの現像の注文が届いたそうだ。24時間体制で現像したが、すべての現像が終わったのは1月中旬ということだ。つまり、あのコダクロームの最後の1本の現像が行われたのは2011年のことだったのだ。

それから、Kodakの会社そのものがどうなるかと心配された年でもある。年の初めに5ドルを超えていた株価は急激に低下し、この一カ月は1ドルをも割り込んで、今日は66セントまで落ちている。まだ会社に現金が残っているようだが、早急にフィルムに変わる収益源が見つからないと会社そのものも歴史になってしまいそうだ。そうなると、トライXやT maxといった有名なモノクロフィルムもコダクロームと同じ歴史上だけの名前になってしまう。せっせとフィルムを使ってそうならないことを祈るのみだ。

Kodakは年を超えそうだが、いろいろな出来事があった年として2011年は記録される。同じようにコダクロームで撮られた写真も歴史に多く残される。人類の歴史だったり、個人の記録だったり。たとえブランドは消えても、その名前は長く、記憶される。とはいえ、フィルムの物性故に、その写真が永久に残るわけではない。私のコダクロームで撮られた写真は、保存が悪かったためか、すでに劣化が始まっている。長く残すことを考えるなら、アナログ信奉者の私でもデジタルで撮って、どこかのサーバに預けておくのがよいかもしれない。 ただし、そんな写真はないので、モノクロフィルムで撮って印画紙にプリントし続けるつもりだ。

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