銀座のギャラリー

by Shogo

このところ週末が忙しくて美術館やギャラリー巡りができないので昼休みに銀座でギャラリーに行った。行ったのはニコンサロンと資生堂ギャラリー。キヤノンは行くと、いつも美しい写真が展示さているが、まったく興味のない花鳥風月が多いので最近は行かない。

ニコンサロンでは白神 政史さんの「光海」というタイトルで長時間露光でカメラをブラして花火などの光源を撮った写真でなかなか好み。シンプルでいて他にない独創性が感じられる。

資生堂ギャラリーは、ダヤニータ・シンさんというインド出身の写真が世界各地で撮った写真で物語を作っている。写真の一枚一枚にも物語が感じられてしばらく見入ってしまった。展示の方法もギャラリーの照明を落として暗くした中に強いスポットライトを写真に当てて浮かび上がるような感じになっていて余計にドラマチックな感じだった。

家に飾るとすると白神 さんの何枚かが候補になる。被写体の魅力によらないシンプルな写真は個人的なツボにはまっている。一方ダヤニータ・シンさんの写真は、家に飾ると言うよりも写真集が欲しい。どちらが好きかと誰にも聞かれないし、どちらか決める必要がないのだが、聞かれたら白神さんの方とこたえるかも知れない。でもオリジナリティがあって素晴らしいのだが、何か瞬間芸というかPhotoshopで作ったようなというかそんな感じもしてしまう。ダヤニータ・シンさんの世界と比べるとどうしても浅くなってしまう。一方、ダヤニータ・シンさんの写真は伝統的なスタイルの写真で、全体として一枚一枚としても訴えるものを感じる。それをリアリティというのかも知れないが、写っているものの存在感と写している人の内面が見える。被写体と写真家が一体となって生み出した写真の持つ不思議な力を感じる。

単にどちらも好きだということだが、 やはり被写体は色々なものを撮るべきだということだろう。先日読んだ松岡正剛さんの本に、コクトーの言葉として「僕はオリジナリティが大嫌いだ。僕はできるだけそれを避けてきた」が紹介されていた。文脈がよく分からないのだが、リアリティというか、そこにあるものの存在感のことを言っているような気がする。その存在感を無から作り上げるのは意味がないしできないということを言っているのだろうか。

今日は朝から雨で散歩に行かない。午後から夜にかけて外出の予定。

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