東京都庭園美術館「皇帝の愛したガラス」展 #2

by Shogo

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17世紀ヴェネツィアの皿

皇帝のガラス器は明らかな装飾品もあるが、多くは実用的な形態を持っている。花器やワイングラス、デカンタなどである。当時も非常な高価なもので実用品としても使われたものもあるのだろう。ガラス器や陶磁器は、特に今回展示されているようなものは美術品と工芸品の境にあるというか、程度の違いで両方の性質をもっている。美術的工芸品とよぶのだろうか。

実用的価値のある形態をしているが故の、美術品としての美しさを感じる。この点が他の芸術と
違っている。芸術は常に固定観念を否定して新しい概念から形態を生み出してきているが、ガラス器や陶磁器は形態を否定するのは難しい。常に実用品としての表面的な機能性を残しつつ、美しさを創造しなければならない。「皇帝の愛したガラス」展に展示されている多くのガラス器の多くは美術品としてつくられたものもあるが、多くは実用的な目的のためにつくられた筈だ。

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 17世紀ヴェネツィア

考えてみれば芸術が芸術のために作られるようになったのは19世紀以降とかの話で、それ以前は絵画にしても彫刻にしても実用とまで行かなくても、注文主がいて明らかな目的を持って作られていた。その目的の範囲で多くの偉大な芸術家が美を追求してきた。

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16世紀ヴェネツィア

しかし、19世紀以降あるいはもっと前にもいたかもしれない一部の芸術家が自分の表現を追求し始めた。これが、現在私たちが考える「芸術」だが、その概念そのものはそう古いものではない。雇い主のいる職人から、貧しい芸術家への移行だ。そこから、自由に表現の可能性の探究が始まった。詳しくは知らないが、もしかすると絵画の場合には写真の発明と関係があるかもしれない。現実を二次元に
写すことは写真にはかなわないから違う形の美を求めた。それが現在ある絵画芸術の出発点だ。

現在までに常に新しい表現を求めて可能性は追求し尽くされた。絵画では形態は単純化されたり無視されたりして抽象画も生まれた。他の分野でもシュールレアリストよって始められたように芸術の定義そのものが問われた。あるは、その様式や形態そのものが否定されたと言って良い。20世紀後半に起こったことは、伝統的な美の否定と言えるだろう。伝統的な美しさは新しくないから、そこから遠く離れることが芸術となったからだ。だから、ありとあらゆるものが「芸術」として展示されることとなってしまった。便器はまだ最初にやった人は、既存概念の破壊という意味があったかもしれないがは、排泄物に至っては意味が私には理解できない。

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16世紀ヴェネツィア、当時高価だった中国の磁器に似せた花器

表現の新しい可能性を探し続け、あらゆる形式が誕生した後で、今このようなガラスの工芸的芸術品をみていると「美」の定義をもう一度考えさせられる。それは最初にも書いた実用品の範囲内にある美である。もちろん、今回展示されているガラスは、例えば民芸運動における実用品の美ではなく、芸術家ともいうべき高い美意識と技術によって一点一点作られた、まさに芸術品の美である。現在の大芸術家の歴史に残る作品が、美しいかと問われると、芸術を理解できない私には美しいとは言えない。たぶん新しいとか今を反映しているという理解になるのだろう。でも、それが見ていて心地良い訳ではない。

なので今回は、美しいということの普遍的な価値をガラスとおして確認させていただいた。普段考えている美しいということと新しいということは永遠のテーマだが、美しいということを単に伝統的だと否定はできない。現に16世紀のヴェネツィアのガラスの造形は驚くほど新しく感じるものもある。そういう意味で今回の展示が、16世紀から20世紀にかけて作られた世界各地のガラスの作品をまとめて見て、その普遍的な美しさを感じることができる幸運をな機会だと感謝しなければいけない。

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今回一番好きだったのが、このシノワズリのボヘミアのデザート用鉢。18世紀のものだそうだ。色味と形が素晴らしい。

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ラリック。小さくてよく分からないが女性の像が入っている。

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同じくラリック。これも今回好きだったもの。シンプルなデザインで、色味が良い。これは20世紀の作品だそうだ。

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ドーム兄弟の花器。

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古いドイツの婚礼用の杯を19世紀に復刻したものだそうだ。実用ではあり得ないが、お祝いの席ならあり得るか。

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19世紀のロシア製。アールヌーボー調。色が好きだ。

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こちらも19世紀のロシア製。色と伸び上がるような造形が眼を惹く。

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19世紀のロシア製。形と色をみるとロシアの技術力がよく分かる。好きかどうかは別。

板ガラスが工業的に作れなかったとしたら、これほど美しいものはないと書いたのは誰か思い出せない。安部公房だったような気がするが、そうだとすれば読んだのは30年ほど前なので、正確かどうかもよく分からない。確かにガラスというものは美しく、そしてその形が様々で、その人によって美しいものは変わる。板ガラスの美しさはシンプルな造形とその硬質な脆さによっている気がする。今回展示されているどの作品もガラスのその両方の美しさを感じさせてくれる。

ヴェネツィアでガラスに鉛を混ぜてクリスタルを作り出したそうだが、ガラスの製造は何十世紀もかけて発展してきたものだが、その間には様々な技術を必要とした。これは芸術作品を作るということとは別に開発されてきたことだが、やはり、その努力の大きな部分はより美しく、表現の幅を広げるために使われてきた。
その意味で、単なる美術品ではない、工芸製品の性格も併せ持っている。そこで開発された技術が、今回の展示された作品に生かされただけではなく、様々な多くの分野に転用されてきている。

たくさんあるのだろうが、例えばレンズだ。現在においても光学技術と合わせてレンズの設計製造に生かされてきている。というように強引にカメラの話題に話を振ってみた。散歩から帰ってきたが、今日も朝から暑いので日中は家で溜まったフィルムの現像をしようと思っている。すでにパトローネ
を使い尽くして現像しないとフィルムが巻けない。東京都庭園美術館で撮った写真はまだあるが、本日はこの辺りで。

17世紀ヴェネツィアの皿
16世紀ヴェネツィア
16世紀ヴェネツィア、当時高価だった中国の磁器に似せた花器
今回一番好きだったのが、このシノワズリのボヘミアのデザート用鉢。18世紀のものだそうだ。色味と形が素晴らしい。
ラリック。小さくてよく分からないが女性の像が入っている。
同じくラリック。これも今回好きだったもの。シンプルなデザインで、色味が良い。これは20世紀の作品だそうだ。
古いドイツの婚礼用の杯を19世紀に復刻したものだそうだ。実用ではあり得ないが、お祝いの席ならあり得るか。

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