思いこみ

by elmarit

ヴァーツラフ広場はプラハの新市街の中心にある。広場が造られたのは14世紀だが、周辺の建物は19世紀末から20世紀初頭に建てられたものだそうだ。なので新市街と言っても古い街でもある。

この広場で重要なことが何度も起こっている。ヴァーツラフ(後のカレル1世)の騎馬像が広場の端にあり、その後は国立博物館だ。クーデルカのプラハの春の時の広場を写した写真の遠景に見えるのがこれ。つまり彼は広場の反対側からあの写真を撮ったわけだ。

広場というより細長いので幅の広い通りにも見える。パリのシャンデリデにも例えられるが、こちらの方がずっと鄙びている。しかしパリのあの通りで多くの事件が起こったように、ここでも歴史的な出来事が起こっている。広場のカレル1世の像の前で1918年にチョコスロバキア共和国の建国が宣言された。それから、1968年のプラハの春の際にはこの広場をソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍の戦車が侵攻してプラハの春を終わらせた。そして1989年のビロード革命もここから始まった。

騎馬像の前には建国を記念して1918の年号が刻まれているし、プラハの春の際にソ連の暴挙に抗議して焼身自殺した大学生のパネルも像にはめ込まれている。

最初にこの広場をタクシーで通りかかった時に、像の前のキャンドルや花などが眼に入った。42年経った今も自殺した学生を忘れないで、ここにキャンドルを灯し、花を供えてプラハの春のことをチェコ人は思い出しているのだと感激した。プラハに思い入れがあって来ているわけで、プラハの春の事件は私にとっては大きなテーマだから何の疑いもなくそう思っていた。

何日か目に歩いてこの場所まで来て、king of popの写真があるので一瞬不思議に思った。プラハの春とマイケル・ジャクソンはどんな関係があるのだろう。何枚か写真を撮って思い当った。一周忌だ。キャドルや花はマイケルのためのもので、プラハの春の時の大学生は何の関係もないのだ。

ちょっとがっかりして拍子抜け。やはり42年の年月はプラハの春を遠い歴史にしてしまったのだ。 頭の固い私のこと、自分の眼鏡を通してしか出来事を見ないからこんなことになるのですが。思い入れが強すぎると無いものですら見えてしまう。

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